今月の新刊エッセイ|五味太郎さん『ぼくは ふね』
今月の新刊『ぼくは ふね』は、絵本作家として50年、350作品以上を世に送りだしてきた五味太郎さんの集大成となる作品です。ひとはひと、自分は自分。まわりと比べる必要も、まわりと同じ必要もない。ちいさな船が主人公のお話は、子どもから大人まで誰もが共感できる一冊です。新作の刊行に寄せて、五味さんに作品に込めた思いを綴っていただきました。
そして「ぼくは ふね」
五味太郎
『正しい暮し方読本』という素敵な絵本の中に、あ、僕が描いた絵本なのですが、「正しいタコのあげ方」という項目があります。「タコあげ」についての考察なのですが、タコあげがだんだん上手になって、大きいタコや凝ったタコをあげるようになるのは、それなりに楽しくていいのですが、タコあげの真髄というやつはそういうことではなく、タコに自分の気持ちを託する、つまり自分のかわりにタコに空を泳いでもらう、でき得れば自分が風にのって空を漂ってみたいんだよなあ……! と言いたいわけなのです。
この項目はそんな僕好みの気持ちのやりとりを直接描いたわけですが、考えてみたら僕の描く絵本はほとんどそんな感じなのですね。『きんぎょが にげた』のきんぎょしかり、『ばったくん』のばったしかり、『かぶさん とんだ』のかぶさんしかり。みんな僕の気持ちなんですね。自身であのような遊びがしたくて、それをきんぎょなり、ばったなり、かぶなりに託しているのでしょう。僕が直接やったらあのきんぎょみたいに見事なかくれんぼはできないし、ばったみたいにやったらただの不法侵入ですものね。かぶさんの場合は仲間といっしょにタコあげ状態になりたいわけなのでしょう。つまりは、そんな僕の生まれつきのクセのようなものをそのまま持ちこんで遊んでいられる絵本という存在は、僕にとってとても便利で使い勝手の良い有難い世界というわけです。こんなに気楽に自由に遊んでいられる場所はちょっと他には見当りません。
そんなわけで次々と、絵本をかなりたくさん描いてきたわけですが、最近あらためて『ぼくは ふね』という作品を作ってみました。つまりは、「ぼくは きんぎょ」「ぼくは ばった」「ぼくは かぶ」ということだったのだよなあ、などとあらためて気がついたあたりで、やや積極的に「ぼく」を意識して描いてみようと思ったのでしょう。もちろん、その考えが中心にあったわけではなく、いつものようになんとなく描き始めたのですが、設定が設定だけに否応なく「ぼく」を意識して描くわけですから、ごく自然に「ぼくの人生」のような気配が出て来ざるを得ませんでした。「ぼくは ふね」であって「ふねは ぼく」ということになってしまうわけです。敢(あえ)て言えば少し独白みたいなところがあって、きんぎょやばったに心持ちを託すというような間接的な表現ではない、少し直接的な気配が漂ってしまうのでした。
とは言え、それはこの絵本だけの話で、自身の人生を総括しようなんてことでは決してありませんから、御安心ください。画業50周年なんていう世間のうわさに、少し調子を合わせて、やや人生論的な雰囲気を漂わせてみせただけの話。51周年からはまたあらためて、楽しくて愉快でちょっとお洒落な絵本をまた描くのでしょう。どうぞ楽しみにしていてください。よろしく。
五味太郎(ごみたろう)
1945年生まれ。工業デザイナーを経て絵本の世界へ。サンケイ児童出版文化賞、東燃ゼネラル児童文化賞、ボローニャ国際絵本原画展などで数多くの賞を受賞。絵本に『きんぎょが にげた』『ひよこは にげます』『かぶさん とんだ』『さんぽのしるし』『ばったくん』『みんなうんち』『からだの みなさん』『どこまで ゆくの?』(以上、福音館書店)『まどから おくりもの』『仔牛の春』『つくえはつくえ』(以上、偕成社)『かくしたの だあれ』『たべたの だあれ』(ともに文化出版局)『さる・るるる』(絵本館)「らくがき絵本」シリーズ(ブロンズ新社)など多数。絵本論『絵本をよんでみる』(平凡社)、絵本の仕事をまとめた『五味太郎 絵本図録』(青幻舎)がある。
2024.02.07