あのねエッセイ

今月の新刊エッセイ|新藤悦子さん『いのちの木のあるところ』

6月に刊行された『いのちの木のあるところ』は、トルコにある、今も多くの謎に包まれた世界遺産「ディヴリーの大モスクと治癒院」をめぐる人々を描く壮大な歴史物語です。作者の新藤悦子さんに、刊行を記念したエッセイを寄せていただきました。

想像することでしか近づけない

新藤悦子



『いのちの木のあるところ』は、十三世紀のトルコ、ディヴリーという町に残るモスクと治癒院の物語です。
モスクの建築を命じたのはディヴリーの王アフマドシャー、治癒院は王妃トゥーラーン。カバーに描かれた赤毛の馬にまたがるのは王、黒馬の方は王妃です。草原の向こうには褐色の岩山、こんな山間の町に残るモスクと治癒院ですが、トルコでいち早く世界遺産に認定されました。
ちょっとカバーをめくって、表紙の絵を見てください。モスクの入口を飾る冠門です。巨大な石の門にほどこされた浮彫の文様は、ほかに類を見ないもの。大胆にして繊細な浮彫を手がけたのは、天才石工フッレムシャーとされています。
現地でこの冠門を目の当たりにしたときも圧倒されましたが、佐竹美保さんからこの絵を受け取ったときも息をのみました。資料としてお渡しした写真を写し取ったといいます。
「フッレムシャーを描くには、まずこの浮彫を描かないと、と思って」
電話口でさらりといわれ、その姿勢に驚きました。

ディヴリー建築の第一人者、建築史家ドーアン・クバン氏を、イスタンブルのお宅に訪ねたときのことを、佐竹さんに話したことがありました。
「居間の窓からボスフォラス海峡が見えてね、壁には冠門の写真の巨大パネルがかけてあったの。クバン先生は杖をついて入ってくると、パネルの前のソファーに腰をおろして、冠門に向かって両手をひろげてみせたのよ」
「わかる! わたしも光輪の文様を写した絵を拡大コピーして、壁にかけてその前でビール飲んでるもん」
佐竹さん、そこまで惚れ込んでいたとは!
クバン先生もフッレムシャーにぞっこんで、「ガウディのような天才」と絶賛しています。その魅力を伝えるには、研究書では足りず、小説にするしかないと考えたこともあったそうです。
「想像したまえ。想像することでしか、フッレムシャーに近づけない」
クバン先生のいう通り、これほどの浮彫をどんな思いで彫ったのか、フッレムシャーに近づくには想像するしかありませんでした。彼だけでなく、王や王妃、この建築に関わったすべての人の情熱が、どこから生まれ、どのように育まれたのか。想像を重ねることで、わたしはディヴリーの魅力に取りつかれていきました。

佐竹さんもまた取りつかれていました。すべての挿絵を仕上げたあとで、「描き残した気がして」といって、冠門に光輪を彫るフッレムシャーを描いたのです。その後姿はまるで佐竹さんの分身のようで、胸がじわっと熱くなりました。
物語の要ともいえるフッレムシャーですが、アフラート出身ということ以外なにもわかっていません。どんな人物か、なぜディヴリーに来たのか、謎に包まれています。わたしは資料を読み、現地で取材をし、浮彫の写真も穴のあくほど見て、この傑作を生みだしたフッレムシャーに思いを馳せました。いっぽう佐竹さんは、浮彫を写し描くことで、フッレムシャーに近づいていったのです。


 

新藤悦子 (しんどうえつこ)
●1961年生まれ。津田塾大学国際関係学科卒業。トルコなど中近東に関する著作に、『羊飼いの口笛が聴こえる』(朝日新聞社)『チャドルの下から見たホメイニの国』(新潮社)『トルコ風の旅』(東京書籍)などがある。『青いチューリップ』(講談社)で日本児童文学者協会新人賞受賞後は児童書作家としても活躍、『手作り小路のなかまたち』『スプーンは知っている』(以上、講談社)『イスタンブルで猫さがし』『アリババの猫がきいている』(以上、ポプラ社)などの著作がある。

2022.08.03

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