特別エッセイ|葛野浩昭さん『オーロラの国の子どもたち』と、それを取り巻く「サーミ本」〜『オーロラの国の子どもたち』刊行によせて(前編)
ノルウェー北部に古くから住む人々、サーミの子どもたちの暮らしを美しい挿絵とともに描いた絵本『オーロラの国の子どもたち』。その刊行に寄せて、長年サーミの社会や文化を研究している文化人類学者、葛野浩昭さんにエッセイを書いていただきました。サーミの人々が描かれている図書の歴史、そして、その中での『オーロラの国の子どもたち』の位置付けについての興味深い考察を、前編・後編の2回にわけてお届けいたします。
『オーロラの国の子どもたち』と、それを取り巻く「サーミ本」
葛野浩昭
ドーレア夫妻による絵本『オーロラの国の子どもたち』の原書『Children of the Northlights』は、今から80年以上も前の1935年、ニューヨークのViking Pressから出版されました。アメリカでは1920~30年代が「絵本の黄金期」とも呼ばれます。『オーロラの国の子どもたち』は、この「黄金期」に作られた数多くの絵本の中の1冊で、19枚の白黒の絵に加えて、色鮮やかなカラー絵が16枚も収められています。
しかし、私は絵本の歴史の研究者ではありません。『オーロラの国の子どもたち』にも描かれたサーミ人の社会や文化を人類学的な視点から考えることを仕事としています。ここでは、私の手元にあるサーミ人関連図書(以下、「サーミ本」と書きます)の歴史を、児童文学書を中心にごく簡単に振り返り、皆さんに『オーロラの国の子どもたち』の位置づけについて考えていただこうと思います。
自然とともに生きる人々への憧れ
サーミ人(自称)とは、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北部からロシアのコラ半島にまで広がる北極圏北部地域の先住民族で、人口は4国合計で約8万人、昔も今も、その内の10%ほどの人たちがトナカイを飼育してきました。『オーロラの国の子どもたち』の中で使われた「ラップ人」という民族名称は、その語源には諸説ありますが、長く「辺境民」といった意味合いで使われてきたもので、今は公的には使われていません。
しかし、この「ラップ人」という古い呼び名には、「文明の中心地」から「未開の地」を見下ろす視線ばかりではなくて、複雑な憧憬の気持ちも混じり込んでいました。サーミ人がトナカイの群れと一緒に季節移動を繰り返す遊牧、それも北欧諸国の国境を越えておこなっていた遊牧の生活は、文明からも国家からも自由な姿に映ったからです。今ふうに言い換えれば「自然とともに生きる人びと」として見つめられてきたわけで、それゆえ、サーミ人のトナカイ遊牧については数え切れないほど多くの本が出版されてきました。
サーミ文化に引き付けられた知識人たち
私の手元にあるサーミ本は、1673年に人文学者シェッフェルが発表した『Lapponia(ラップランド)』(ラテン語)にまでさかのぼります。絵本ではありませんが、トナカイ飼育を説明する絵が何枚も入っています。
また、著者がひときわ有名なサーミ本としては、博物学者リンネによる1792年(死後)出版の『Flora Lapponica(ラップランドの植物)』(ラテン語)をあげることができます。植物分類学の学術書ですが、巻頭ページには、雪原をトナカイ橇で進むサーミ人やドラムを叩くシャーマンの姿が描かれています。
このように「ラップ人」は、すでに17・18世紀には知識人階層の間では強い憧れをともなう好奇心の対象として有名でした。
サーミ文化に対する好奇心の広がり
19世紀末から20世紀初頭になると、度重なる万国博覧会の開催やそれを報じる雑誌メディアの発達等を通して、一部の知識人たちに限らず多くの人々の視野が、ラップランドのような「辺境の地」を含む世界の隅々へまで急速に拡大する時代がやってきます。くわえて、この時代には「ラップ人」を有名にした作家が2人、北欧に現われます。日本では「星のひとみ」の著者として知られるスウェーデン語系フィンランド人のトペリウスと、『ニルスの不思議な旅』で有名なスウェーデン人のラーゲルレーヴです。
2019.01.28