今月の新刊エッセイ|斎藤惇夫さん『河童のユウタの冒険』
今月取り上げる『河童のユウタの冒険』の作者は、「ガンバの冒険」シリーズ(岩波書店)で知られる斎藤惇夫さん。長年子どもの本の編集に携わり、現在は、執筆と、子どもの本の普及活動を続ける斎藤さんに、長編ファンタジー『河童のユウタの冒険』に込めた思いを語っていただききました。
『河童のユウタの冒険』について
斎藤惇夫
旅をすることと、物語を書くことは何て似ているのだろうと思ってきました。旅も物語も、途中で思いがけない人や動物や、時には妖精に出会い、計画や構想と異なる展開に(うまくいけば予測をはるかに超えた歓びに)なることがよくあるのです。
今回の物語でも、多くの思わぬ登場人物や光景に出会いました。例えば、九尾の狐に会えたのは全く偶然でした。中国からわたってきた九尾の狐が、絶世の美女に化身し、鳥羽上皇の寵愛を受け、やがて那須野に追われ武将三浦介に打ち取られるという伝説は、遍く知れ渡っていますが、その那須野にある私の小屋の庭に、数年前から、時折狐が顔を見せるようになったのです。しなやかで美しく、遠くを望むような目をした若い狐でした。私はすぐにそれが九尾の狐の孫娘と思いました。そしてなんとか私の物語に登場してもらえないかと思っているうちに、彼女の母親が現れてくれました。九尾の狐は、何しろ我が国にやってきたのが少なくとも800年以上前となっているものですから、当時に比べ九尾の狐一族の魔法の力は減退しており、ネズビットの『砂の妖精』のサミアドがたったひとつの魔法しか使えなかったように、今の日本では、母親が三つの魔法、物語の主人公の一人孫娘は二つしか使えないということになっていました! ところが、孫娘のアカネを記せば記すほど、彼女の魅力にとらえられ、母親の登場だけでは足らず、思いもかけず、彼女のおばあさん、名高い九尾の狐にも登場してもらうことになってしまったのです。そうしないとアカネの美しさや魅力、彼女の魔法を描き切れなくなってしまったのです。
「あとがき」に書いたことではあるのですが、この物語は38年前、私が38歳の時に、瀬田貞二さんに言われた一言が促しになって生まれました。瀬田さんは、わが国最後の天狗が最後の魔法を振るって戦う物語を書こうとしていらっしゃいました。けれども、自然破壊の進むわが国でもはや天狗の話は書けないとおっしゃり、このアイデアは斎藤さんに譲るからと言われ、亡くなられてしまいました。
その瀬田さんの言葉は、少年時代からずっと私のすぐ近くで眠り続けていた、天狗や河童の目を覚ましてしまったようです。そして目を覚ました彼らが、九尾の狐のアカネとともに、私の幼いころからの夢であった、故郷の信濃川の河口から、甲武信ケ岳の水源までをたどる旅に誘ってくれたのです。
九尾の狐が姿を現してくれたのも、河童や天狗同様に、私が無意識のうちにずっと、再会を強く望んでいたからに違いないと思っています。それのみか、私は物語を書きながら、瀬田さんとも、子どものころからの座右の書『たのしい川べ』や賢治の物語、『オデュッセイア』や多くの昔話、それに『ホビットの冒険』や自分の物語の主人公たちにすら再会することができました。
ゲーテは、「旅は畢竟(ひっきょう)自分の持っているものだけを持って帰る」と言っていますが、それはそのまま「書く」行為にも当てはまるようです。どうやら旅をすることと、物語を書くことは、幼いころからの夢をかなえさせる行為であると同時に、幼いころからの人生を露わに映し出し、さらに「今」を正確に認識させ、未来をも窺わせることなのだ、と、とりわけ今回の作品を書きながら、深く経験いたしました。長い、驚きに満ちた旅でした!
斎藤惇夫(さいとう・あつお)
1940年新潟市生まれ。小学校一年から高校卒業まで長岡市ですごす。長年子どもの本の編集に携わり、現在は、著作と、子どもの本の普及活動を続ける。著書に『グリックの冒険』『冒険者たち』『ガンバとカワウソの冒険』『哲夫の春休み』(以上、岩波書店)、『おいで子どもたち』(日本聖公会)、『現在、子どもたちが求めているもの』『子どもと子どもの本に捧げた生涯』(以上、キッズメイト)、講演録に『わたしはなぜファンタジーに向かうのか』(教文館)などがある。
2017.08.04