今月の新刊エッセイ|蟹江杏さん『ハナはへびがすき』
11月の新刊『ハナはへびがすき』は、ヘビやカエル、トカゲなど“ちょっと変わった生き物”が大好きなハナという女の子のお話です。みんなから自分の好きなものを「きもちわるい」とか「へん」と言わてしまうハナに、ある日一つの出会いが起こります。あのねエッセイでは、作者の蟹江杏さんが、この絵本の原点とも言えるような、ご自身の子ども時代のエピソードを綴ってくださいました。
生き物と私、あるいは命。
蟹江杏
私は生き物で遊ぶのが好きな子どもでした。へびなんか見つけたものなら声を上げ歓喜したし、トカゲの尻尾切りは定番です。子ども部屋には蜘蛛に巣を作らせて飼ったりしていました。それは「生き物と遊ぶ」ではなく、あくまで「生き物で遊ぶ」でした。
幼い私にとって買い与えられた玩具と森や河原で見つけた生物たちの命との境界線は限りなく曖昧だったのです。月並みにいえば、子どもって残酷なものよねってことですが、どうもそれでは許されなかった様で、私が手にかけた命たちが夜な夜な夢に登場して、大人になってからも復讐される事がありました。特に蛙と私の間には、ある出来事をきっかけに取り返しのつかない深い溝ができてしまいました。彼ら彼女らにはどんなに謝罪してもしきれません。
それは三十数年前のある年の夏の暑い日。前の晩にTVで、お笑い芸人が難攻不落の城を落とすため、城主の仕掛けた数々の難関に身体を張って挑戦し、最後まで生き残った者が賞金を獲得できるという壮大スペクタクルな番組を見た日でした。私は、すっかり城主の気分になり「風雲あんず城」に挑戦者を募集する事にしました。ターゲットになったのが、蛙たちです。仲良しのRちゃんにも応援を要請し、朝から田んぼの畦道で、蛙をたくさん捕まえました。
蛙にとってはこの時点で迷惑な話ですが、ここからが本番でした。熱いアスファルトに小石で白線を引き、少し離れたスタート地点に蛙を並べて、時間内にラインを超えられた者のみ合格。ここで挑戦者は約半数に。その後も、たくさんの蛙たちが脱落していくなか、最後の関門を乗り越えた精鋭は、15匹くらいだったでしょうか。賞金は「船で海まで行ける」という名誉を、生き残った蛙たちに与えることに決めました。ビニール袋に蛙たちを入れて空気で膨らませ、風船の様にした船を抱えて溝川に行くと、「戦士たちよ! この川は海まで続くのだー」と叫びながら、投げ込みました。船はしばらくその場に止まっていましたが、クルクル回って低い方に流れ出しました。が喜んだのも束の間、小枝に引っかかって動かなくなってしまいました。慌てて長い棒で離そうとしましたが、届きません。
しばらくして、Rちゃんが言いました。「船には蛙の餌がないね」私は「あっ」と思いました。あたりはまだ気温も高く、船内の蛙たちも苦しいかもしれません。途端に、このまま船の中で餌もなく干からびて死んでいく蛙たちの姿が私の脳裏に浮かび消えなくなってしまいました。ああ、なんて事しちゃったんだろう。みんな海に行けるはずなんてないんだ。心臓がドキドキして泣きたくなりました。けれども諦めてはいけません。今度は蛙を助けるために、石を投げてどうにかビニールを破ろうだとか、傘でひっかけようだとか、できることは全て試したのですが、どれもうまくいきませんでした。
こうしているうちに、辺りは薄暗くなり帰宅時間になりました。なんだかとても疲れてしまい、へとへとで家に着いたのを覚えています。私たちは、次の日から暗黙の了解で溝川に行くのをやめました。行くのが怖かったからです。
実を言うと今回の絵本に登場する主人公ハナが好きな生き物の中で、唯一私が苦手だったのが蛙です。けれど、この絵本を描くにあたり、数十年の時を経て蛙と向き合いました。蛙館に行って世界の蛙を見たり、ベランダに来てくれた蛙もじっと観察しました。図鑑も随分読みました。私にとって、この絵本を描くには避けて通れない生き物でしたから。けれど、絵本を描き終えた今、不思議な事になんだかちょっと蛙が好きなんです。ハナが、命の美しさを改めて私に教えてくれたおかげかもしれません。
蟹江杏 (かにえ・あんず)
画家。東京生まれ。「自由の森学園」卒業。ロンドンにて版画を学ぶ。全国の百貨店やギャラリーで絵画の個展を開くいっぽう、NPO法人3.11こども文庫理事長として、被災地の子ども達に絵本や画材を届ける活動や絵本専門の文庫を設立するなど、福島県の子どもたちをはじめ全国各地の子どもたちとの交流を深めている。本の仕事も多数。
2021.11.01