特別エッセイ|鴻巣友季子さん「自分だけがいる世界、自分だけがいない世界」〜『ふゆごもりのまえに』刊行によせて〜
吹く風が冷たくなり、冬の訪れを感じる季節になってきました。11月の新刊『ふゆごもりのまえに』に登場する小さなハリネズミのハリーも、そろそろ冬眠の支度に入るようです。けれども今年はどうしても冬に見てみたい景色があるハリー。なんとかして眠るまいとがんばります……。そんなささやかな願いを叶えようとがんばるハリーの健気さを、ぜひお楽しみいただきたい絵本です。本作の訳者・鴻巣友季子さんに絵本について語っていただきました。
自分だけがいる世界、自分だけがいない世界
鴻巣友季子
『ふゆごもりのまえに』は、農場やそのまわりで暮らす動物たちの毎日を描いた絵本です。ページをめくるたびに、新たな動物と、新たな景色があらわれるので、4、5歳ぐらいのちいさなお子さんでも目を楽しませることができると思います。
はりねずみの「ハリー」が冬眠しまいとがんばるこの可愛らしい絵本の原書を、福音館さんから見せていただいたとき、わたしはなんともいえない、なつかしさを覚えました。ジャン・ブレットさんのあたたかい画風の絵が一種のノスタルジーをさそったのかもしれません。
それだけではなく、動物が冬眠する、冬眠するはずなのに起きているというお話そのものに、子どものころの記憶をくすぐられた気がしました。
冬眠(冬ごもり)という言葉を幼いわたしが知ったのは、いつごろだったでしょう? 考えてみますに、トーベ・ヤンソン原作のムーミンシリーズあたりではないか、という気がしてきました。ヤンソンの小説第六作に『ムーミン谷の冬』というものがあります。
ムーミン一家は毎年、秋から春先にかけて冬眠するのですが、その冬ごもりの途中で、ムーミン一人だけが目を覚ましてしまい、家族のいない冬の世界にとまどいながらひと冬を過ごすというストーリーです。
『ふゆごもりのまえに』に出てくるはりねずみの「ハリー」は、ムーミンとは逆に、みんな起きているなかで自分だけが眠ってしまいます。みんなが言うきれいな冬景色も見られないし、雪合戦などもできません。『ムーミン谷の冬』も『ふゆごもりのまえに』も、ある意味、孤独を核心にもつお話といえるでしょう。わたしは、つきつめると孤独には二種類あると思っています。世界に自分一人だけになってしまった孤独と、その世界に自分一人だけがいない孤独です。このふたつは、わたしの死生観の土台にもなっています。
前者はムーミンが体験したもので、後者はハリーが味わっている孤独ですね。『ふゆごもりのまえに』はそうした深遠なテーマも、作品の底にたたえていると思います。お子さんが初めて出会う「こどく」になるかもしれませんね。
「冬」をこの目で見て、みんなの仲間入りをしたいと願うハリー。さて、その願いはかなうでしょうか? どうぞお子さんといっしょに、ハリーの冒険をお楽しみください。
鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ)
東京生まれ。幼いころから親が心配するほどの「本の虫」。訳書に『嵐が丘』『風と共に去りぬ』(以上、新潮文庫)、『灯台へ』(河出書房新社)、『昏き目の暗殺者』『恥辱』(以上、ハヤカワepi文庫)、『獄中シェイクスピア劇団』(集英社)、『イエスの幼子時代』『イエスの学校時代』『誓願』(以上、早川書房)ほか多数。絵本の訳書に『メリーさんのひつじ』『どこかで だれかが ねむくなる』(以上、福音館書店)がある。また、著書に『翻訳ってなんだろう?』(ちくまプリマー新書)、『謎とき『風と共に去りぬ』』(新潮選書)、『全身翻訳家』(ちくま文庫)、『孕むことば』(中公文庫)、『翻訳問答』(左右社)など。小中学生のために、『小説版ロミオとジュリエット』を翻案したりもしている。
2020.11.12