特別エッセイ|横山和江さん「想像は無限に広がる」〜『サディがいるよ』刊行によせて〜
9月の新刊『サディがいるよ』は、想像することが大好きな女の子・サディの一日を描いたカナダの絵本。ダンボール箱の船で航海に出たり、クッションでお城を作ったり、おとぎばなしの主人公になって冒険をしたり、空想に満ちたサディの世界が、美しい絵と詩的な言葉で綴られた一冊です。刊行によせて、訳者の横山和江さんが、サディの姿に重なって思い起こされた、ご自身やお子さんたちの幼い頃の日々の思い出について、綴ってくださいました。
想像は無限に広がる
横山和江
『サディがいるよ』の主人公サディは想像力豊かな女の子です。ジュリー・モースタッドの描くかわいらしいサディが想像の世界で遊ぶようすが描かれています。本書を訳しながら、昔の記憶がよみがえり懐かしくなりました。サディと同じようにわたしも想像して遊ぶのが好きだったからです。子ども時代の思い出をいくつか挙げてみると……
背中には見えない翼があって、本気を出せば飛べると信じていた。
妖精の気配を感じると目を動かさないようにして見つけようとしていた。
動物と話ができると信じていた。
川にいる生きものに引きずり込まれるのが不安だった。
庭に小屋を作り基地にしようとしていた。
身の周りにある小さな世界がすべてだったころでも、想像は無限に広がっていた気がします。そんなわたしに育てられたせいか、子どもたちも想像力豊かでした。
狭いところが大好きな5歳違いの姉と弟は、寝室のベッドと窓のあいだにある場所を海と想定して、レースのカーテンを波に見立てて何時間でも遊んでいました。また娘が「動かし遊び」と呼んでいたさまざまなごっこ遊びも毎日飽きもせずにしていました。おもちゃに役割を割り当ててふたりでオリジナルストーリーを展開しつつ遊んでいる声を聞きながら、翻訳の勉強をしていたころが懐かしいです。
またサディと同じように、ふたりにとって段ボール箱は特別な魅力を持つものでした。乗り物にするのはもちろんのこと、ほしいものを自分で作りだすための魔法の道具のようにも見えました。
姉から英才教育を受けた弟もなかなか楽しませてくれました。息子が「ひよこ豆」入りのスープを食べようとするタイミングで、わたしが「ピヨピヨ」「いたいいたい」というと、息子はビクッとしてなかなかスープを食べられませんでした(何度目かにはバレましたが)。たくさん雨が降れば映画で見たシーンのように水にもぐって移動しようといい、雪が積もれば雪の向こうの世界へ行こうとわたしを誘う息子。そんな子どもたちがかわいらしく、いとおしくてたまりませんでした。
自分の世界が広がるにつれ、「そんなの覚えてない」というふたり。でも、わたしはふたりが生まれてからいっしょにいるあいだのことはほとんどといっていいほど覚えています。見えない紐に縛られているような息苦しさも感じる一方で、はじめて幼稚園に預けたときの手がすうすうする一抹の寂しさ。とうとうふたりとも進学で巣立ったあとの喪失感にとまどいながらも、これからの人生をどう生きるか考える時期に来たと実感しました。
わたしにとって育児の思い出と翻訳の勉強は密接につながっています。2006年にはじめて訳書を出してから15年経ち、我が子はすっかり大人になりましたが、読んでもらえる読者がいることを信じ、必要とされる限り翻訳人生をまっとうしたい。『サディがいるよ』が長く読まれることを願いつつ、想像の世界にとびこめる心の柔軟さをいつまでも持ちつづけて、子どもの本の翻訳とともに歩みたいと思います。
横山和江(よこやま・かずえ)
埼玉県生まれ。山形市在住。絵本の翻訳に、『フランクリンの空とぶ本やさん』(BL出版)、『キツネのはじめてのふゆ』(鈴木出版)、『ジュリアンはマーメイド』(サウザンブックス社)、『ほしのこども』(岩波書店)など、児童書の翻訳に、『サンタの最後のおくりもの』(徳間書店)、『わたしたちだけのときは』(岩波書店)、『きみの声がききたくて』(文研出版)、「ベネベントの魔物たち」シリーズ(偕成社)など多数。やまねこ翻訳クラブ会員。
2020.09.09