小風さち 絵本の小路から

紙と鉛筆と消しゴム|『いっぽんの鉛筆のむこうに』 谷川俊太郎 文 坂井信彦ほか 写真 堀内誠一 絵

作家の小風さちさんが、絵本作家たちとのエピソードをまじえながら綴った、絵本の魅力をじっくり味わえるエッセイ。第9回は、谷川俊太郎さんが文を、坂井信彦さんらが写真を、堀内誠一さんが絵を手がけた『いっぽんの鉛筆のむこうに』です。

紙と鉛筆と消しゴム

『いっぽんの鉛筆のむこうに』 谷川俊太郎 文 坂井信彦ほか 写真 堀内誠一 絵


 紙と鉛筆と消しゴム。文章を書きはじめた頃、手持ちの道具といえばそんなもんだった。ふた昔より前の昔。机は食卓かコタツの上、鉛筆と消しゴムは適当に調達、紙は広告のチラシを譲り受けて裏を使った。同じチラシが、ダンボール一箱分あった。
 時は変わりこちらは数日前。突然、仕事用のパソコンが壊れた。プンッと切れたままどうやっても動かない。背筋が凍った。朝一番に家電量販店に向かい、しょんぼり開店を待っていると、ふとこんな想いが浮上してきた。──大丈夫。紙と鉛筆と消しゴムがあれば、なんとかなる。
 もっとも、この『いっぽんの鉛筆のむこうに』という絵本は、鉛筆が一本あればなんとかなるというお話ではない。
 この絵本は月刊"たくさんのふしぎ"の創刊号だったと記憶している。私が持っているのは数年前に買ったハードカバーのものだが、内容は、端的に言えば、一本の鉛筆がどんな国の、どんな人の、どんな仕事を経て今私達の手元にあるかということだ。抑揚をおさえた文章と、写真とイラストで構成されている。

 まず登場するのは、地下300メートルで黒鉛を採取するスリランカのポディマハッタヤさん。次はカリフォルニア州の木こり、ランドレスさん。そして木材を運ぶトラックの運転手、トニー・ゴンザレスさんと続く。紙面は銘々の子ども自慢や月給や趣味のこと、朝ご飯になにを食べたとか、お弁当のことなどに割かれ、写真も彼らの生活を伝えている。鉛筆に関する記載は、不思議なことに思ったほど多くない。木こりのランドレスさんは日本製のチェーン・ソーをほめている。
 ゴンザレスさんが運んだ材木は工場で加工され、船で日本に運ばれる。ここで登場するのがコンテナ船のコック長、ミグエルさん。彼が考えたらしき船員さん用のメニューが載っている。日本人の私が食べたことのないものが色々ある。特に"フリホーレス・レフリートス(煮つぶして油で炒めたインゲン豆)"という食べ物はいつも気になる。家族の写真と手紙は彼の宝物にちがいない。だがミグエルさんは、船が鉛筆用の木を積んでいることにあまり関心はない。


 船が日本の港に到着すると、コンテナを運ぶ運搬車が待っている。運転手は高橋清志さん。コンテナの中身は知らないが、仕事はきっちりこなす。冬には家族でスキーに行くのを楽しみにしている。そしてエンピツ工場の塗装部門で働く大河原さんは、三人の子どものお母さんだ。最後は小学校の近くで文房具店を営む、おばちゃん。
 鉛筆をテーマにした科学絵本とおもって開くと、横道に逸れてばかりの印象だが、鉛筆を軸に彼らの血の通った日常を辿るほどに、一本の鉛筆のむこうに地球一個分の広がりを感じて、手元の鉛筆を茫然と見つめてしまう。

 この絵本を、私は年に何度か読みふける。読む時は決まっている。原稿が書けない時である。だからポディマハッタヤさんの長男が木登りが得意なことも、ランドレスさんが朝食に卵を4個食べることも、大河原さんのお小遣いの使い道もよく知っている。ランドレスさんとゴンザレスさんに至っては、今や知り合いのような気がするくらいだ。今回もパソコンの件が一段落するまで、私はミグエルさんや大河原さん達に、どれほど励まされたことだろう。大丈夫。鉛筆が一本あればなんとかなる、と。なにしろ一本の鉛筆のむこうには、地球一個分の広がりがあるのだから。

 話は戻るがダンボール一箱分のチラシ。あれは紙質は良かったが、全部黄色だった。私は今でもA4の黄色い紙を見ると、鉛筆を削り削り書いたあの日々を思い出す。ワープロが出回ると鉛筆を使わなくなったが、長いお話を書くことが出来るようになった。私はチラシの裏を印刷用紙にして長編ファンタジーを書き、黄色い紙はそれで全て使い切った。そのせいか、完成した本の表紙は黄色い。
 


小風さち(こかぜ・さち)
1955年東京に生まれる。1977年から87年まで、イギリスのロンドン郊外に暮らした。『わにわにのおふろ』などの「わにわに」シリーズ、『とべ!ちいさいプロペラき』『あむ』『ぶーぶーぶー』『はしれ、きかんしゃ ちからあし』『おじいちゃんのSLアルバム』など多数の絵本、童話作品を手がける。

2017.10.31

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