金貨がいちまい|『うさぎのみみはなぜながい』北川民次 文・絵
作家の小風さちさんが、絵本作家たちとのエピソードをまじえながら綴った、絵本の魅力をじっくり味わえるエッセイ。第8回は、北川民次さんの『うさぎのみみはなぜながい』です。
金貨がいちまい
『うさぎのみみはなぜながい』北川民次 文・絵
私はなにをするにも遅い子どもだった。数字も平仮名も、覚えたのは小学校に入学してから。その小学校の入学試験では、お金を数えてみせるのに、多分「10円、20円」とやらねばならないところを、「金貨いちまーい。金貨にまーい」とやった。
そんな具合なので、文字のからくりを理解したことは、たいへんな文明開化だった。世界がくっきり見えたように感じたのは、その時と、四季があることに気づいた時だ。そちらは小学四年生の時だった。
自分で文字が読めるようになると、愛読書というものができた。『うさぎのみみはなぜながい』がそうだ。
私は学校の友達に、兎の耳が長いわけを、何度説明してみせたことだろう。神様と耳の短いちっぽけな兎のやりとりや、その兎がトラとワニとサルをボカンと殺してサクッと毛皮にし、神様のところへ持っていったこと。そして、自分を森で一番大きな獣にしてくれと頼むのだが、まったく怖がりな奴ほど恐ろしいものはない。だが学年で一番小さかった私は、小さな兎のこの知恵と勇気に、いたく感心したのである。
だが神様というお方は、いつの世も思慮深い。どうしたかというと、「せめて、たった ひとところだけでも おおきくしてやろう」と、兎の両耳をつかんで、ほーいと地上に放ったのである。だから兎の耳は今でも長いのだと、自分の住所も正しく言えない頃に、遠い国の大昔の話を見てきたように話したものだ。実際このお話は、メキシコ南部のテワンテペック地方に古くから伝わる民話なのだが、私はこれを真実とおもって、疑ったことは、ただの一度もなかった。
『うさぎのみみはなぜながい』は、文と絵の両方を北川民次氏(1894〜1989)が手掛けられている。北川民次といえば、メキシコ・ルネッサンスと対で語られる画家である。
だがそれは、母国にいて影響を受けるというような生易しいことではなかったようだ。メキシコ革命(1910〜1917)以降に興ったこの美術運動に、画家は実際に立ち会った稀有な日本人だった。
運動の中核になったのは、なんといっても"壁画"だった。識字率の低かった民衆に、民族の歴史やイデオロギーを伝えるため、たくさんの壁画が描かれた。壁に描かれた絵は、いつでも誰でも鑑賞することができる。入場料もいらない。高額な売買もされない。
なかにディエゴ・リベラ(1886〜1957)という画家がいて、私事で恐縮だが、今年(※)の春ニューヨークでようやく彼の作品を観ることができた。本来は公共の建物の壁などに描く壁画を、MOMA(ニューヨーク近代美術館)が美術館に壁面を造ってでも描いてもらったという一連の作品は、壁画としては少々断片的で数も多くはない。それでも、ディエゴ・リベラの部屋は格段に威光を放っていた。"伝える"という強い意志に貫かれた"物語る力"に満ちていた。北川民次氏は、このリベラの時代にメキシコに渡ったのである。
子どもは絵本を読む時、どこからどこまでが絵で、どこからどこまでが文章などと考えない。体ごと魂ごと、お話の世界に身をゆだねる。それが、子どもという読者の絵本の読み方だ。神様の足元にぬかずく兎。次々とハメられてゆく獣達。だが終盤の、念願の体になった兎の想像図は恐ろしい。これじゃあ、身を守るために耳が伸びただけでよかったと安堵する。日本人画家による、この異色のルーツを持った絵本は、創作絵本をハードカバーにする先駆けとなり、福音館日本傑作絵本シリーズの一冊めとなった。
ランドセルを背負いメキシコの民話を愛読していた頃から、またたくまに50年が過ぎた。気がつくと子どもは子どもを生み、その子どもは次の子どもを生んでいる。けれど、私は今でも兎の耳が長い理由を、『ゆきむすめ』の身に起きたことを、『鉛の兵隊』の行く末を、金貨の数を数えるように、一つひとつ数えることができると感じている次第である。
※2012年
参考文献
「メキシコ壁画運動」加藤 薫 著 現代図書
小風さち(こかぜ・さち)
1955年東京に生まれる。1977年から87年まで、イギリスのロンドン郊外に暮らした。『わにわにのおふろ』などの「わにわに」シリーズ、『とべ!ちいさいプロペラき』『あむ』『ぶーぶーぶー』『はしれ、きかんしゃ ちからあし』『おじいちゃんのSLアルバム』など多数の絵本、童話作品を手がける。
2017.10.16