命がけのお話|『まどのそとの そのまたむこう』モーリス・センダック 作・絵 脇 明子 訳
作家の小風さちさんが、絵本作家たちとのエピソードをまじえながら綴った、絵本の魅力をじっくり味わえるエッセイ。第6回は、『まどのそとの そのまたむこう』(品切)です。
命がけのお話
『まどのそとの そのまたむこう』モーリス・センダック 作・絵 脇 明子 訳
この絵本には、命がけの行きて還りし物語の匂いがする。
はじめて『まどのそとの そのまたむこう』を手に入れた時、私はロンドンで暮らしていた。ハイゲイトという北西部の街で、ヒースの茂る丘の向こうに、詩人キーツやケイト・グリーナウェイ、エリナー・ファージョン等の住んだハムステッドという街があった。
当時のハムステッドには、坂の途中に一軒の本屋があった。年季の入った木製の本棚に様々なジャンルの本がきちんと収まっている。いつ入っても気持ちの良い、静かな街の本屋だった。今は流行の服屋になってしまったが、J.R.R.トールキンの研究をしておられた猪熊葉子先生は、年に一度ロンドンに来られると、その本屋に立ち寄るのを楽しみにしておられた。
店の正面左にはショーウィンドウがあり、新刊の絵本が展示されている。置き方にはいつも工夫がこらされており、店主の児童書への愛情が感じられた。その頃の私は子育ての最中で、どこへ行くにもベビーカーをカタカタ押して歩いていた。
ある日、ショーウィンドウに怪獣の人形が数匹いて、こちらを睨んでいた。だが私が立ち止ったのは、その見覚えのある"wild things"のせいではなかった。横に一冊の絵本が立て掛けてあったからだ。時代遅れの青い服を着てホルンを持った少女と、妙に目の大きな赤ん坊。二人の視線はどういうわけかまちまちだ。私はしげしげとその本を眺めると、暗示にかかったように店に入り、平積みの中から一冊抜いて、まっすぐレジへと向かった。『OUTSIDE OVER THERE』(『まどのそとの そのまたむこう』)by Maurice Sendak。1981年、初版本である。
物書きには、吐かねばならない時がある。この絵本を繰ると、センダックが本当は子どものために描いてなどいないことがすぐにわかる。センダックは誰のためにも描いていない。センダックは吐いてしまったのだ。魂の奥に沈殿していた、なにがしかの記憶を。そのような絵本が良いか悪いかということは、私にはわからない。ただ言えることは、センダックがそれをしなければ、この絵本はこの世に存在しなかったということだ。そういう作品を子どもと一緒に分かち合うことに、なんの異論があるだろう。
本というものは読者を持つ。絵本の読者は子どもである。その子どもは小さく、守られるべき存在だが、子どもを読者にお話を書く一人として、ゆめゆめ忘れてはならないと思っていることが私にはある。それは、子どもは大人の狭い理解をはるかに越えて、豊かで、鋭く、強靱な魂を持っているということだ。二歳は二歳の、四歳は四歳の、八歳は八歳の人生の経験を積んでおり、様々な感情を味わって、知っているということだ。幸福な感情や満ち足りた経験ばかりではない。無防備な体に喜怒哀楽の全てを精一杯受け止めて生きているのが、彼らの本当の姿なのではないだろうか。私にはそう思えてならない。
『かいじゅうたちのいるところ』のマックスは、抑圧に対する怒りを爆発させた。『まどのそとの そのまたむこう』のアイダは"不在"の暴力に立ち向かった。静かで、破壊的で、氷のように冷たく、時に命さえ奪いかねないその暴力に、子どものアイダは果敢に戦いを挑み、押し戻し、そして生還したのだ。これは、命がけの行きて還りし物語だと、私は思う。
アイダはきっと、もう少し大人になった頃、こう思うだろう。よく還ってこられたものだわ、と。どうしてあんな処まで行くことができたのかしら、と。だが人は皆一度や二度、命がけの旅になるなど考えもせず、ホルン一つ握りしめて、子供部屋の窓から旅に出ることがある。そして皆、とんでもない処まで行って還ってくるのである。
今年(※)の5月、モーリス・センダックがアメリカのコネティカット州で亡くなった。85歳だった。
※2012年
*ケイト・グリーナウェイ=イギリス19世紀の挿絵画家。
*エリナー・ファージョン=イギリス20世紀のの児童文学作家。
*『かいじゅうたちのいるところ』(原題 Where the Wild Things Are)神宮輝夫 訳 冨山房
小風さち(こかぜ・さち)
1955年東京に生まれる。1977年から87年まで、イギリスのロンドン郊外に暮らした。『わにわにのおふろ』などの「わにわに」シリーズ、『とべ!ちいさいプロペラき』『あむ』『ぶーぶーぶー』『はしれ、きかんしゃ ちからあし』『おじいちゃんのSLアルバム』など多数の絵本、童話作品を手がける。
2017.09.01