小風さち 絵本の小路から

摩天楼の雨|『あまがさ』やしま・たろう 作

作家の小風さちさんが、絵本作家たちとのエピソードをまじえながら綴った、絵本の魅力をじっくり味わえるエッセイ。第4回は、やしま・たろうさんの『あまがさ』です。

摩天楼の雨

『あまがさ』 やしま・たろう 作

 ニューヨークへ行くことは、今年(※)の年明けに決めたことだった。MOMA(ニューヨーク近代美術館)に近いホテルを選ぶことも、その時に決めた。アメリカの現代美術を観るためだが、白状すると初めてのニューヨークに、一人旅である。わやわやと心を過ぎる不安と期待で、正月から落ちつかなかった。
 ケネディー国際空港に到着したのは、3月の末だった。タクシーで中心街のマンハッタンに向かった。高速道路沿いの花木の向こうに、高層ビルの群像がちらちらと見え隠れしている。それがいつのまにか一塊に迫ってくるや、車ごと摩天楼に吸いこまれていった。
 現在進行形の美術を観たい、本物のモダンアートを浴びるほど観ようと自分で計画した旅である。だがホテルに着き、薄暗い部屋で荷解きをしていると、なんでこんな遠くまで来たものかと憂鬱になった。日本におれば桃の季節だ。
 ホテルからMOMAまで歩いて数分と調べはついていた。身支度をし、カーテンの外をのぞくと、隣のビルの壁が濡れはじめている。雨が降ってきたのだ。私は折りたたみ傘を持つとロビーに降りた。回転ドアを抜け、傘を開き、いよいよマンハッタンの人通りに足を踏み出した、その時だ。あっと思った。──私は、ここを知っている。
 だが、これまでの人生のどこをひっくり返しても、マンハッタンはおろかニューヨークに来たのすら初めてだ。イギリスになら住んだことがあるが、ではロンドンに似ているかといえば、街の匂いもビルの高さのケタも違う。そのケタ違いの高層ビルの風景が妙に懐かしく、おかしなこともあるものだと雨が顔に降りかかるのも忘れて見上げていると、記憶の底からすっと昇ってきた一冊の絵本があった。『あまがさ』である。みずみずしい色彩の絵本だった。見返しに摩天楼が描かれていた。黄色いお皿に目玉焼き。誕生日に雨傘をもらったモモ。ここはあのモモが、初めて自分の傘をさして歩いた街なのだ。おもわず笑みがこぼれた。


 『あまがさ』は画家、八島太郎氏が作と絵の本である。戦前の日本を捨てて渡米した画家について、家の中で大人達が声を低めて話し始める。すると、必ず聞こえてくるプロレタリアという言葉。その響きは当時小学生であった私の耳にも、一種の崇高さと恐怖を感じさせた。八島氏が米軍で日本軍に投降を呼びかけるビラを描いていたのは有名な話だが、その画家が戦後に絵本を描き『Umbrella』、すなわち『あまがさ』をアメリカで発表したのは1958年。挿絵では1975年初版本の『トム・ソーヤーの冒険』がある。
 私は戦争を知らない。だが小学生の私は、真っ直ぐに『あまがさ』が好きになった。モモが雨を待つ気持ちは自分の気持ちだったし、モモの耳が聞く雨音は自分の耳で聞いているように思えた。モモは日本人なのに住む国が違う。摩天楼の絵や、黄色いお皿や目玉焼きを見ればわかる。私が嫁ぐことが決まり、父に家にある絵をどれか一つ持っていってよいと言われた時、私は迷わず八島太郎氏の絵を選んだ。父が画家からいただいた、モモが雨傘を両手でしっかり持って歩いているパステル画である。
 歴史も文化も違う国だのに、ああここは何かで知っていると感じる時、記憶の底に一冊の絵本があったという経験を持つ人は多いに違いない。これはテレビの映像を幾たび観ても、決して及ばない絵本の力だ。どれほど年月を経ても、しっかりと睦み合える絵本を心に持つ子どもや大人が、世界中に一層増えてくれるといいと私は思う。
 ところでニューヨークの旅だが、当初計画していたMOMAにじっくり通う案はたちまち消え失せた。なにしろ面白くてたまらない。現代の作品を抱えるそこここの美術館に飛び火し、若手作家のビエンナーレまで鑑賞したあかつきには、モダンアートを浴びるほど観るどころか目から血が出そうなくらいであった。

※2012年

参考文献
『さよなら日本 絵本作家・八島太郎と光子の亡命』 宇佐美 承 著 晶文社


小風さち(こかぜ・さち)
1955年東京に生まれる。1977年から87年まで、イギリスのロンドン郊外に暮らした。『わにわにのおふろ』などの「わにわに」シリーズ、『とべ!ちいさいプロペラき』『あむ』『ぶーぶーぶー』『はしれ、きかんしゃ ちからあし』『おじいちゃんのSLアルバム』など多数の絵本、童話作品を手がける。

2017.07.20

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