「母の友」800号記念対談① 理想の「母」?「親」? @ジュンク堂書店 池袋本店(後編)
子どもが生まれたから、作品が変わるわけじゃない。
小林 産後、映画や本で、なんというかどぎつい作品を見たくなることがあって(笑)。子ども番組とかばかり見ていると、そこで描かれる「聖母」のような母親像に苦しくなってきて、なにかこうドロドロしたものを見たくなる、というか。
山崎 確かに、ほんわかしたものにおなかがいっぱいになることはあるかも。私はもともと、1人でいる時間がすごく好きなんだけど、子どもが1歳、2歳になってくると、コミュニケーションを取れるようになるじゃない? それはそれですごくおもしろいんだけど、そうすると、人間はうちの子どもだけでもう十分というか、人間はいいや、っていう感覚になってきて、動物が主人公の作品、具体的には、ジャック・ロンドンの小説にはまりました。あとは『ナショナルジオグラフィック』を毎月読むようになって。映像もペンギンの子育てとかを見るのがすごく好きになりましたね。
ーーー山崎さんは、動物の映像や小説を、お子さんが生まれる前も、多少はご覧になることはあったのですか?
山崎 あ、なるほど……。「お子さんが生まれて何か変わりましたか?」と聞かれたとき、「何も変わっていません!」って、答えたい自分がいるんですけど……そうですね、そうか、ジャック・ロンドン(笑)。変わりましたかね、その部分は。
小林 「子どもを産んで作品が変わりましたね」っていうことは起こりうるのかもしれないけれど、別に子どもがいない生活が続いていたとしても、作品が変わることはあると私は思う。ただ、子どもっていうのが、たまたま目に見えてわかりやすい変化なだけで。たとえば、両親が病気になるとか、自分の体調が悪くなるとか、年齢のステージによって人は変わっていくものだと思うし。そうなれば、子どもがいてもいなくても、作品に影響があることって、あるんじゃないかな。
山崎 きっと、人も、作品も、生きていれば、変わらざるを得ないんだと思いますね。誰にだって、日々いろんなことが起きて、生活が変化して、自分が変わっていく。作品って、実は、自分一人の頭の中で生み出しているわけではないんですよ。周囲の変化があれば、影響は受けざるを得ないんだろうね。
小林 でも、自分の根本にある、性格的なものはそんなに変わらないんじゃないかな、とも思う。もともと孤独が好きな人が、子どもが生まれたからって、いきなり社交的になったりはしないというか。そういう根っこは変わらないのだと思うと、それはそれでどこか安心もするな。
いっぱいいっぱいになりそうな時は、周りに助けを求めて!
小林 子育てに限らず、何かの渦中にあるときって、冷静に判断することが本当に難しいし、自分で自分がわからなくなることがすごく多いんだな、と思いました。頭では理解しているつもりでも、実際にそれが実行できるかどうかは、まったく別なんだなって。私、出産前は、この21世紀にあって、赤ちゃんにミルクをあげるのは当然と思っていたし、母乳だけで育てるとかそういうこだわりも全くありませんでした。けれど、出産した病院がたまたま「母乳強化合宿」みたいな所で(笑)。そうしたら知らず知らず「もう母乳しかない!」と日に日に追い詰められて。私は、「自分はわりあい論理的な人間で、合理的に物事を考えることができる」とずっと思っていたんだけれど、渦中にいると、自分を見失ってしまうんだな、と実感して恐ろしくなりました。
山崎 意外な自分を発見する、というのは、私もあったな。私も基本的には論理的な人間だと思っているんだけど、流産したときに、もう考えるのはやめようとどれだけ思っても、あれがよくなかったんじゃないか、これがよくなかったんじゃないかと非科学的な問いがどんどん頭の中で浮かんできて、自分を責めてしまうんだよ。流産は、親の責任というより、子どもの方に理由があることが多いことは医学的な知識として知ってはいたんだけど……。
小林 すごく分かる。子どもの病気とかも、親である自分に責任があるように思い過ぎちゃうというか。
山崎 うん。結局、私ひとりでどうにかできると思っちゃいけないってことだよね。育児でもなんでも。
小林 渦中にいると、自分がわからなくなっていることさえわからないからね。だれかに助けを求めないといけない。努力すればなんとかなるんじゃないかとか、自分ひとりでコントロールしようとすると、どんどんつらくなるし、追い詰められていく……。
山崎 もう限界ぎりぎりになっているのに、そのことに自分で気がつけない。いやいや、私がもうちょっと我慢すればいいんだ、とか、頑張りが足りないんだ、とか思ってしまう。そうではなくて、「私、もういっぱいいっぱいです!」と言ってしまって、他の人に助けを求める以外に、方法はないのかもしれないね……。
小林 渦中にいるときは、その「助けて」って言葉がなかなか言えないところもつらいよね。
山崎 多分、完全にいっぱいいっぱいになる少し手前の段階で、助けを求められると一番いいんだろうね。難しいけど。
小林 うん、難しいけど、きっとそうだよね。ナオコーラちゃんも毎日大変だと思うし、いっぱいいっぱいになりそう、ってなったら私に電話してほしいな。
山崎 ありがとう。
ひとりひとりが、自分の幸せを伝え合える社会にしたい
質疑応答
ーー(会場から)「母親」じゃなくて「親」であることは、子どもにとってもいいことだと思いますか?
小林 それは、母性的なものとか、父性的なものが、家庭に必要か? という質問でしょうか?
ーーーそうですね。なんというか、母という存在がいた方が、子どもにとっては、ひょっとしたらいいのかな、と。
小林 うーん、確かに、母というか、母的な役割の存在がいるのはいいかもしれない。でも、男性がその母の役割をしてもいいわけだし、女性ふたりがともに母でもいいのかもしれない。私自身は別に、2つの役割が必ずしもなくても、家族が成立したらいいな、と考えています。あと、限られた血縁だけでなく、もっと自由に家族というものがあればいいなって、よく思います。私には血縁でない祖母や、異母姉がいるのですが、私は彼女たちが家族でいてくれて本当によかったなって、思いがあるから。家族の形はひとつだけではないし、家族というものは、それぞれが、それぞれに考えて、作ってゆくものなんじゃないかな、と思います。
山崎 私も、父や母という役割の存在が絶対に必要というわけではないんじゃないかなと思います。実際、自分の周りにも、いろいろな形の家庭で育っている人がいらっしゃって。そして、みなさん、立派に生きておられるのを見ているので。あと、親が子どもにできるのは「その子の生を絶対的に肯定することだけ」だっていうのを聞いたことがあるんです。親はそれさえ子に伝えることができたらいいんじゃないかな、と思います。
小林 人間って家庭内だけで生きているわけじゃないし、もっと大きい、社会のネットワークみたいなものの中で形づくられていくものだと思うんですよ。だから、もっといえば、「母」や「父」、「親」だけじゃなくて、社会の中で、もっといろんな人が子どもの育ちに関われるような、おおらかな広がりが生まれていくといいんだろうなって思います。自分の子どもを見ていても、私たち親の生き方だけを見るのではなくて、もっとたくさんの人生の選択肢を見ながら、育ってほしいなと思うので。
ーー(会場から。別の方)。お話ありがとうございました。私は、5歳の息子がいる専業主婦なんですが、私は彼を通して人生がすごく豊かになっていると感じています。子どもが生まれたことでの変化をとてもプラスに感じているのですね。失礼だったら本当に申し訳ないのですけれど、お2人は、どちらかというと子どもができてからの変化をややマイナスにとらえられておられるのかな? と。もしおふたりが子どもを得たことによって感じた喜びであるとか、そういうことがあればお聞きしたいなと思いました。
山崎 なるほど。いやあ、そうか。実は私、子どもができたことを全くマイナスにはとらえてはいないんですよ(笑)。ただ、仕事の場面で、「自分が女性だからこう言われるんだろうな」と感じるセリフがすごく多くて、そのことに傷ついてしまうんです。多分、男性だったら「子どもが生まれてあなたの仕事、変わりましたね」とか言われないのに、私はそればっかり言われる気がしてしまって。そのことへの反発として、仕事上の信念は子どもがいようといまいが何も変わってないです、って言いたくなっちゃうんですよね。なので、子どもが生まれたことで仕事に悪影響があるとも決して思っていないんですよ。実際、子どもと共に生きることで、視野が広がったと思っていますし、子どもの周りにいる、初めて出会う方たちとコミュニケーションを取る機会も増えておもしろいです。最近は、保護者会の前に雑談の技術を上げよう、と思って一夜漬けで本を読んだりもしました(笑)。世界が広がっていますね。
小林 私もマイナスだとは全然思っていなくて、本当に色々な気づきがあるし、うれしかったり楽しかったりすることの方が多いです。ただ、私の場合は、子どもを産む前に「子どもを持てばこんなに人生豊かになるし、成長できるのに!(あなたはまだ産まないんですか?)」みたいなことを遠回しにでも言われると、すごく苦しい気持ちになった時期があって。そもそも社会の「女の人に対する子ども産めプレッシャー」も凄いし。あと、子どもを持ってみないとわからない絶対的な凄い世界があるんだろうか……とか考えたりもしてね。それを知らないとまずいんじゃないかと焦る、みたいな……。でもそんな絶対的な世界はない、と思いますけどね。子どもが生まれた後の生活だって本当に人それぞれなわけですし。
というわけで、私は「子ども、最高!」って言い続けるのを、ちょっと躊躇しちゃうときがあるんですよね。それを言うことで、別の人にプレッシャーを与えてしまうのではないかと心配で。
でも、きっとこれも社会のシステムのせいであって、もっと手放しで「子ども最高!」って、みんなが気軽に言える社会になったらいいな。同時に「ひとり最高!」とも言える社会になってほしいし。
山崎 そうだね。やっぱり、今の社会だと子どもを産んでない人に対する圧力のほうが強いように思うんです。「子どもが生まれてよかった」って話が、本人は意図していなくても、だれかに対しての攻撃になっちゃうことがある。そのことに気を遣わないと、と思ってしまう。
小林 そう。でもそれに気を遣っている自分も苦しい。子どもを産んだ人が「今、いい感じだよ」と言えて、産まない選択をしたり、産みたくても産めなかったりした人たちも「私たちもいい感じだよ」とお互い言いあえるようになったらいいな。
山崎 「私はこんなに成長しているよ」って話ができるといいのかな。子どもがいる、いないに関係なく、私自身はこんなふうに生きていて、それで、仕事でも生活でも、趣味でも、なんでもいいのだけれど、こんなに成長しているよ、って話がもっとしやすい社会になるといいのかもね。みんなが、これが私の幸せだよ、っていうことを堂々と言える社会を、ひとりの「社会人」として作っていかないといけないと思います。
小林 うん。自分が幸せであることを表明したいよね。それぞれがそれぞれの立場のままで、幸せです、と言いあえるようになれたらいいな、って思います。
(まとめ・母の友編集部、宣伝課)
山崎ナオコーラ(やまざき・ナオコーラ)
1978年福岡県生まれ。著書に、育児エッセイ『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)、主夫小説『リボンの男』(河出書房新社)、授乳や筋肉の小説『肉体のジェンダーを笑うな』(集英社)など。3月18日にエッセイ『むしろ、考える家事』(KADOKAWA)を発売予定。
小林エリカ(こばやし・えりか)
1978年東京都生まれ。小説『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で芥川賞、三島賞候補に。“放射能”の歴史を辿る漫画作品『光の子ども1~3』(リトルモア)も。現代美術作家として2019年は国立新美術館のグループ展「話しているのは誰?」にも参加。近刊に小説『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)。
2021.03.01
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