「母の友」800号記念対談① 理想の「母」?「親」? @ジュンク堂書店 池袋本店(前編)
2019年12月に、「母の友」創刊800号を記念して行われた記念対談の様子をお届けします。第一回では、記念号にエッセイを寄せてくださった山崎ナオコーラさんと小林エリカさんをお招きして、「母」そして「親」について語っていただきました。
※内容は2019年12月当時のものです。
「母の友」800号記念対談① 理想の「母」?「親」?(前編)
@ジュンク堂書店 池袋本店
ーー(司会)「母の友」800号の特集『子どもと私たちの未来のために「母」を考える』で、おふたりに、今、そして未来の「母」について、考えるところを教えてください、とエッセイをお願いしました。そして、小林エリカさんは「母」、山崎ナオコーラさんは「親」という言葉をキーワードにした文章を寄せてくれました。「これを書こう」と思ったのはなぜでしょう? そこから、お話をうかがわせてください。
山崎 私は正直、「母」という言葉が自分にしっくりこなくて。普段から自分のことは、「母」ではなくて「親」だというふうに考えています。でも、「母」という言葉が、むしろしっくりくる方もいらっしゃると思います。それで「それぞれのしっくりくる言葉」というタイトルで書こうかなと思いました。私の場合は、いわゆる「理想の母」については書くのが難しいかな、と思って。
小林 一方、私は「理想の母さん」というタイトルでエッセイを書きました(笑)。私の「理想の母親像」というか、「理想の女性像」は、ずっとアンネ・フランクなんです。アンネは自分のお母さんに対して手厳しくて、「うちのおかあさんや、ファン・ダーンのおばさんや、その他大勢の女性たちのように、毎日ただ家事をこなすだけで、やがて忘れられてゆくような生涯を送るなんて、わたしには考えられないことですから」(『アンネの日記』深町眞理子訳、文春文庫より)と書いています。「夫や子どもたちのほかに、この一身をささげても悔いないなにかを得たい」と。
私もずっと「そうだよね」と思っていたんですけど……。いざ自分が出産したら、全然文章を書けなくて、作家としての仕事ができなくなり、つまり金も稼げなくなり、その上、家事はそもそも苦手で、つまり、アンネが嫌っていた「子どものためにつくす」ことすら私はできなくて……。それで産後すごく無気力になった時期がありました。でも、よくよく考えたら、アンネが書いたような「理想の女」にも、私自身が思い描いていた「理想の母」にも、自分はなれなかったけれど、今は今でそれなりにハッピーかもしれない、とも最近思えるようになって。
山崎 エリカちゃんが引用していたアンネの言葉は、私の胸にもすごく響いたよ。私もそれだけの人にはなりたくないって思うから。最近、ふたりめの子どもが生まれたんだけど、言い方にもよるのだろうけど、「おめでとう」と言われるだけで、ちょっとイラッとするときがあるんだよね(笑)。というのも、その背景に、「子どもがふたり生まれたなら、それでもう人生いいんじゃないの? 満足でしょ?」みたいな視線があるような気がしてしまうことがあって……。ぜいたくだって思われるかもしれないけど……私の場合、やっぱり、作家として、仕事で成功したと思えないと満足できないんです。
小林 私、ナオコーラちゃんが少し前にツイッターで書いていたこと(*育児だけでなく、もっと文学に注力したい)が、産後の自分の気持ちとすごくシンクロしたんです。私は子どもが生まれてからはしばらく、気づいたら、子どもを育てるということが全てになっていた。これまでの自分自身の生活とか、自分自身の存在がなくなってしまったような気持ちになって、がくぜんとしたこともあった。
山崎 そのツイートに、エリカちゃんが「育児も、生きることも、全てが文学だと信じたい」ってリプライしてくれたでしょ。育児も文学なのではないか。それは確かにそうだなと思った。
小林 ナオコーラちゃんは、「育児のことだけを書いていたら、文学者ではなくなってしまうんじゃないか」という恐れみたいなものも書いていたよね。でも、ナオコーラちゃんが書く育児のことは、それがたとえ小説でなく、エッセイという体裁だったとしても、私にとっては確実に文学に思えるの。でも、なぜ「文学ではなくなるかも」って不安になるのかな、と考えたら、これまでは、いわゆる「文学」と呼ばれるもののなかで、育児ということがそれほど多く書かれてこなかったし、評価もされてこなかったせいなんじゃないかな、と思った。だからこそ、これからナオコーラちゃんは文学の新しい地平をどんどん切り拓いていくんだ、と思っているし、すごく楽しみなの。
山崎 私は、エリカちゃんのリプライを見て、仕事とか生活とか、「生きること」全体をひっくるめて文学なんだ、と改めて気がつくことができた。知らず知らず、育児は、文学とは別の、なんというか、「作業」みたいな感じに思ってしまっていたのだけれど、そうじゃないなって。800号特集の中に、松居直さん(*「母の友」を1953年に創刊した編集者)の「生きるということを、みなさんと共に考え抜きたいという気持ちがありました」って言葉があったじゃないですか。子育ての雑誌を作るときに、「子どもをこんなふうに育てましょう」とか「こうするといいですよ」とか、「作業」の話をするのではなくて、「みんなで生きることを考えよう」と。「生きること」の中に育児もあるんだ、という考え方が、すごくいいなって思いました。
小林 私も800号で松居さんの話、「戦争中は死ぬことしか教えられてこなかった。これからの時代は生きることを一緒に考えたい」という気持ちで「母の友」を作った、というのを読んだとき、なるほど、と思って。ただ、編集者さんから、「母の友」も800号を迎えて、創刊から時間がたち、父も子育てをするわけだから、誌名を「親の友」にしたほうがいいんじゃないか? という声があることを聞いて。ナオコーラちゃんも「親」という言葉を使っているし、やっぱり「親の友」のほうがいいのかなあ、と思ったりもするし、一方、特集の中で大日向雅美さんが、「世界の中で見ると日本の男女格差はまだまだ大きい。親の中でも女性、お母さんたちを応援してほしいから、『母の友』は『母の友』であり続けてほしい」とおっしゃっていて、そういう考え方もあるなあ、とも思ったり……。でも、結局、答えなんてなくて、いろんな「母」についての考え方、生きるということをそれぞれに考える姿勢が一冊の雑誌の中にあることが、素晴らしいな、と思いました。決して何かを押し付けたり、ひとつの答えを出そうとしない姿勢が、私の心の支えにもなってくれているんだなと、気づきました。
山崎 結構攻めた内容ですよね。ジェンダーの話も入っているし。
小林 そもそも家庭を持たない人も、お母さんが2人いる家庭の人の話もあって、それもすごくいいなと思いました。
この何気ない「日常」にこそ、価値がある。
ーーー小林さんにとっては、「母」、ないし「親」ということを取り払っても、おそらく、生きる上でのひとつの理想像が、アンネ・フランク、だと思うのですけれども、山崎さんにとって、そういう存在はいらっしゃいますか?
山崎 谷崎潤一郎ですね。谷崎は戦争中も『細雪』という作品で、口紅がどうとか、コーヒーがどうとか、延々と書いていて(笑)。私は、どんな状況の中でも、「日常」を書くのが作家である、と考えているので、自分もそういう風になれたらいいな、と思います。
ーーー「日常」が、山崎さんの大きなテーマなのですね。
山崎 はい、昔からそうなんですけど、最近、ますますそうなってきています。同世代の他の作家さんたちが、海外に出て大きい仕事をしていく中で、私は同じ町の、小さい家の中にずっといて。さらにふたりめの子どもが生まれたから、行動範囲はさらに狭くなって。今更、海外に出よう、英語を頑張ろう、と思っても、みんなの後追いをする状況なわけだから、こっちはいっそ逆に、どんどん小さいほうに、狭いほう、身近なほうに向かって行こうと思い始めているんです。この小さな日常の中で、みんながあんまり注目していないことをあえてやってみよう、と。たとえば、日本の古語を勉強してやるぞ、みたいなね(笑)。
小林 ナオコーラちゃんの作品を読んでいると、ちょっとした散歩を描くシーンの中に無限の広がりがあるんですよね。身近な半径1メートルの中にも、複雑で多様な世界があるということを、いつも感じさせてくれる。あと、たとえば小説『リボンの男』で、労働とお金の関係みたいなことをどんどん突き詰めて考えていくじゃない? そういう姿勢がすごくおもしろいと思っています。あと、以前、ナオコーラちゃんから「作家として売れてお金が入るのももちろんいいけど、単に〈書いた〉という、その行為の快楽自体に価値を見い出したい」と聞いたとき、なるほど! と思いました
山崎 エリカちゃんも、「人間の価値を、何かが〈できる・できない〉に求めちゃいけない」みたいなことを言っていたよね。本当にそうだなと思う。子育てって、つい「子どもが大人の思ったように成長する」ことだけに価値があると思われがちな気がするけれど、でも、そうではないんじゃないか。子どもはもしかしたら親が思っていたのと全然違う方向に育ってしまうかもしれないけれど、そんなその子と共に暮らす日々そのものに、すでに価値がある。
小林 そう思いたい。というか、自分も頭ではずっとそう思っていたつもりだったんだけれど……産後、自分が何もできなくなったとき、自分には価値がないんじゃないか、というふうに思ってしまったの。つまり、私自身、価値というものを金を稼ぐとか、役に立つとか、そういうことで考えてしまっていたのかもしれない。でも、本当は、金を稼がなくても、何の役に立たなくても、ただ生きているだけで、価値があるし、それは凄いことのはずなのに。それに気づいてから、私はすごく反省しました。まあ、そのおかげで『トリニティ、トリニティ、トリニティ』という小説も書けたのだけど。ナオコーラちゃんはいま、ふたりめの子が生まれて、どうですか?
山崎 ひとりめのときは、夫が時短勤務をしていたし、まあまあ自分の仕事ができたんだよ。でも、今、夫は通常勤務をしていて、上の子が幼稚園に通い始めていて、思った以上に自分の時間が取れない。ツイッターで、お金がどうとか、仕事の成功がどうとか、ぶつぶつ言ってしまうのは、仕事ができないフラストレーションがたまって、良くない方向に行っちゃったんだと思う……。
小林 フラストレーションは、どうしてもたまるよね……。仕事の時間が全然足りないと思うこともあるし、私は逆に子どもとの時間が足りていないんじゃないかって不安になることもある。あと、夫婦間や、家族間だけで、頑張る!っていう方向じゃないのがいいな、と最近思うようになった。もっと広く、社会全体で考えてみたら、変われることのほうが多いのかもしれない。
2021.03.01
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