一郎くんに出会う旅ー『一郎くんの写真 日章旗の持ち主をさがして』刊行によせて
【第1回】一郎くんのいた町―静岡市葵区北番町
東京中日新聞で連載された『さまよう日章旗』(2014年8月)から生まれた、ノンフィクション絵本『一郎くんの写真』。一郎くんの足跡をたどり、担当編集者が現在の静岡市を歩いたエッセイを全3回でお届けします。第1回目は一郎くんが生まれ育ち、出征した葵区北番町を紹介します。
この本の主人公、中田一郎さんが生まれたのは、1921年(大正10年)。「一郎」という名前は、当時の男の子の命名第6位でした。一郎くんは特別な存在ではなく、どこにでもいる、ふつうの青年だったのです。
一郎くんが生まれ育ったのは、静岡市葵区北番町。静岡駅や駿府城公園の西寄りに位置する、今では静かな住宅地です。すぐ近くに浅間神社という大きな神社があるほか、町の中にも寺社が多くあります。
ここで成長した一郎くんは、一番町小学校(現在は三番町小学校と統合して番町小学校)に通い、静商(せいしょう)と呼ばれ親しまれる静岡商業学校(現静岡商業高校)に進みました。
卒業後、郵便局に勤めた一郎くん。すらっとして頭が良く、町で遊ぶ子どもたちにも気さくに声をかける、優しいお兄さんだったそうです。
先ほど住宅地と紹介した北番町ですが、昔も今も、「お茶の町」でもあります。製茶工場や茶の商店が点在し、茶市場や茶商工業協同組合もあります。
実は戦前、日本茶は主要な輸出品のひとつで、静岡駅から北番町の入り口(安西駅)まで引かれた市電も、もとは清水港までお茶を運ぶためのものだったようです。北番町には洋館も建ち、外国人の商人も多く滞在していました。
沢野ひとしさんが絵にする参考に、戦前戦中の町の様子を知るため、担当編集者の私は、製茶工場や商店を訪ね歩きました。そのときにご馳走になったお茶の一杯一杯は、本当に目が覚めるようにおいしく全身にしみわたり、さすがに戦前からお茶で暮らしをたててきた方々の淹れるお茶は別格だと感心したのでした。
北番町も、静岡市の他の地域同様、戦中の空襲で焼け野原となります。しかし、戦前から町を知る小林真治さんによれば、「何もなくなったけれど、このあたりは、元の場所にもどって家や店を建て直した人が多かった」とのこと。
確かに1942年の地図と現在の地図を見比べると、お寺や神社はもちろんのこと、お茶の商店も同じ場所で今も続くお店が多いことに気づきます。町の人たちは、ここで、暮らしを立て直したのです。
日本全国の今は静かなふつうの町々で、きっと同じような戦争からの再建があったのでしょう。
一郎くんがいた時代にも、新茶の出回る6月には、町じゅうにお茶のいい香りがただよっていたという北番町。一郎くんはこの町で、家族や近所の人たちに見送られ、日章旗を持って戦地へ向かいました。
2019.07.31
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