【インタビュー】わたしと「こどものとも」|さとうわきこ『せんたくかあちゃん』
絵本作家さとうわきこさん(1935-2024)のお人柄や絵本作家としての歩み、また創作の裏側にふれていただけるよう、これまでに雑誌「母の友」に掲載したインタビューを再録してお届けします。
こちらは、2016年に「こどものとも」創刊60周年企画として、さまざまな絵本作家の方に「こどものとも」でのデビュー作についてインタビューする連載企画から。さとうわきこさんには、実は「ばばばあちゃん」シリーズよりも先の刊行だった、『せんたくかあちゃん』について伺っています。
(写真:浅田政志)
最初は「母の友」に
さとうわきこさんは人気絵本「ばばばあちゃん」シリーズの作者です。でも、「こどものとも」における最初の絵本は「ばばばあちゃん」ではありませんでした。その作品は『せんたくかあちゃん』。なんでもかんでも、ごしごし洗ってきれいにしてしまう、パワフルなお母さんが主人公の物語です。『せんたくかあちゃん』は今も子どもたちに愛される作品ですが、刊行当時は〝疑問の声〟もあったとか?
――今日は、1978年の絵本「せんたくかあちゃん』についてお話を……
あれ? 1978年でしたっけ? 「せんたくかあちゃん」ってもっと前じゃない?
――「母の友」にカラー童話として掲載されたのは1970年8月号でした。
そうそう。もともと「母の友」に書いたのよね。それで「こどものとも」になったのが七八年か。
――ちなみに、わきこさんの作品が、最初に「母の友」に載ったのは1968年9月号でした。「てんぐのきせる」という昔話ふうのお話。
そのとおり。でも私の名字が「さとう」じゃないのよね。絵も別の人が描いた。
――わきこさんは、このときすでにフリーランスの画家、でしたよね?
うん。もともとデザイン会社に勤めていたんだけど、その頃にはやめていたと思うな。絵描きになろうと思ったのは、デザイン会社時代に寺村輝夫さんと出会ったおかげです。 寺村さんが勤めてらした出版社から雑誌のイラストの仕事をいただいてね。やってみたら面白くて。ほかにも絵を描く仕事はないでしょうか?と尋ねたら「まずはスケッチブックいっぱい、絵をぎっしり描いて持ってこい」と。で、そのとおりにしたら、子どもの本の出版社をいくつか紹介してくれたの。それで絵の仕事が来るようになりました。
でも、福音館書店とは縁がなくてね。私は当時、絵本の勉強のためにと「こどものとも」を定期購読していたこともあって、いつか福音館で絵本の仕事ができたらいいなあ、と思っていたの。そこで、まずは「母の友」って雑誌があるみたいだから、そこに童話を投稿してみようと思ったわけ。
物語を書き始めたきっかけ
――童話は前から書いていたのですか?
書き始めたのがちょうどこの頃でした。フリーランスの絵描きになったばかりの頃に、たまたま堀尾青史さんという方と出会って、堀尾さんが主宰する同人誌に参加することになったんです。堀尾さんは宮沢賢治の研究もしていたから、私も一緒に岩手に行って賢治ゆかりの地を訪ねたりしました。賢治は岩手の豊かな自然を背景に物語を作っていった。私にも武蔵野という背景があるから、もしかしたら、なにか書けるかもしれない、と思うようになって。
――武蔵野という背景とは?
私は東京の町中で生まれたんだけど、体が弱くてね。六歳のとき小児結核にかかって、転地療養のため、練馬区のはずれに一家で引っ越すことになったんです。当時はまさに武蔵野という名前のとおり、野原が広がる、いいところでした。あちこちで湧き水も湧いていて、自然が本当に豊かだった。私もすっかり健康になって、真っ黒になるまで外で遊ぶようになりましたね。男まさりの私を父は「わきのすけ」と呼んでいたくらい。
家の近所には植物学者の牧野富太郎さんも住んでいらしてね。小さい頃、犬をプレゼントしにお宅を訪ねていったこともある。真っ白い髪で、子ども心に「仙人」って本当にいるんだ、と思いましたね。近所には大きな映画の撮影所もあって、見物にいったこともありますよ。ある日スタッフの人に、きみ、この子とボールで遊んでみて、と言われて、子どもの役者さんと一緒に球投げをしたんだけど、その人が、たしか美空ひばりさん……。
――す、すごい思い出ですね……
うん、今思い出しても、子ども時代は光輝いていますね。でも十歳のときに父が結核で死んでしまってそこからはなんだかくすんだ印象ね……。えっと、何の話でしたっけ? そうそう、とにかく、自分の子どもの頃の記憶をほりおこしながら、物語を書いたりし始めたわけです。で、「母の友」に投稿した、と。採用の連絡はなかったんだけれど、同じ頃、挿絵画家の友人が私を福音館に連れていってくれることになったの。紹介してあげる、って言ってね。そのとき会ってくれたのが、「母の友」の編集長だった水口健さん。たぶん、「わきこ」って名前が珍しかったからじゃない? 「あなた投稿したでしょう」と覚えてくれていて。「おもしろい話だから、載せようと思っていたんですよ」って。うれしかったな。ただし、絵は別の方にお願いしたいと思っていると言われました。
次は絵も自分で描きたいと思って、今度は原稿と絵をセットで送ったんだけど、なかなか採用してもらえないの。他の人の絵本も研究して、似せたようなものを送ったこともあるんだけど……そのときは怒られましたね。「誰かのマネをしちゃいけません。あなたにはあなたの言葉があるんだから」って。水口さんからは「自分の言葉で書くことの大切さ」を教えてもらったように思います。水口さん、原稿には厳しかったけど、普段はからっとした、冗談ばかり言っている楽しい人でね。原稿が良かったときには「いいねえ!」と満面の笑顔で言ってくれる。その言葉が聞きたくて、繰り返し投稿していました。『せんたくかあちゃん』もその中の一つでしたね。
――このお話を思いついたのは?
うーん、実はでございますね、この頃、私、離婚というものを体験いたしまして(笑)。女性は一人で生きていく力を持たなくちゃ、たくましくなくちゃ、と非常に強く思っていた時期でした。そして、たくましい女性、といったとき、自分の母の姿が思い浮かんだのです。
父が亡くなった後、わたしたち姉妹を女手ひとつで育ててくれて。当時は女性が働くことは、決して当たり前じゃなかったから、本当にたいへんだったと思います。気の強い人で、私たち子どもにもよく怒ってね。姉と二人で「おにばばあ!」なんて言い返したりして…よくない子どもでした。
でも、私たちの跳ね返りにも、決してくじけない強さが母にはあったの。今から思えば、だからこそ、私たちもそんなことを言えたのかもしれません。子どもって案外、相手のことをよく見てますよね。「厳しいことを言ったら、この人、壊れちゃいそうだな」ってタイプの人には、文句を言ったりしないじゃない。そんなことを考えているうちに、絶対くじけない、たくましい女の人が出てくるお話はどうかな、と母をモデルにした物語を書いてみたんです。
大人からの疑問の声
――たしかに、せんたくかあちゃんはたくましいです。絵本の最後のセリフ「よしきた、まかしときい!」はしびれます。
「こどものとも」の一冊として絵本になったとき、子どもたちから、それまでもらったことがないくらい、たくさんのハガキが届きました。「おもしろかった」って。うれしかったですね。一方、大人からは疑問の声もあったな。「いまどき、たらいで洗濯なんて、時代錯誤だ」と。
――たしかに1978年は高度経済成長も後半。 ほとんどの家庭に洗濯機があったかもしれませんね。
もしかしたら、「母の友」にこの話が載ってから、絵本になるまで八年かかったのは、そのあたりにも原因があるのかもしれないわね。現代の子どもが楽しめるか、編集部の人たちも迷ったのかもしれない。でも、きっと大丈夫だろう、と判断してくれたから「こどものとも」として刊行されることになったんでしょう。
私自身は、かあちゃんの「手洗い」に疑問は感じていなかったですね。それはモデルが私の母、つまり昔の人だから、ってこともあるけれど、やっぱり「手で洗う」ことの良さってあると思うから。21世紀になった今も、私、靴下だけは手で洗っていてね。かかとの部分をきれいに洗える、という現実的な利点もあるんだけど、それよりなにより、洗った後の「気持ち良さ」が違うんですよ。達成感というかな、すっきりした気分になれる。白かったものが黒く汚れると、あーあ、と思うじゃない? もう、捨てちゃおうかな、と考えたりもする。でも、自分の手でごしごしと洗って白くなったときの喜びといったら。人生も同じですよね。だれかに何か言われて、白い心に黒いしみがついたような、いやーな気分になることもある。そういうときは、なにか好きなことをして、心のしみをおとさなきゃ。「心の洗濯」って大事ですよ。あ、ごめん、話がずれた。
――『せんたくかあちゃん』は2002年に続編(『くもりのちはれ せんたくかあちゃん』)も出ましたが、そこでもやっぱり手で洗っています。子どもたちはその姿を違和感なく見ているし、物語を楽しんでいます。
まあ、不思議と言えば不思議よね。今の子どもたちは、たらいで洗濯するなんて見たことがないと思うから。昔話の「ももたろう」に出てくる、おばあさんくらい? 子どもたちは『せんたくかあちゃん』も「昔話」……とまではいかなくても、現実ではない「お話の世界」とわりきって楽しんでいるのかもね。それから、やっぱり「機械にやってもらう」のではなくて、「自分の手で何かをする」ことの爽快さを感じてくれているんじゃないかな。かあちゃんの行動を見た子どもたちが、スカッと晴れやかな気分になってくれたらうれしいですね。
【コラム】最近好きなこと、気になること
やっぱり、自然が好きかな。庭の花を育てるのが楽しいです。亡くなった父も植物が好きでね。幼い頃、いろいろと教えてくれました。
それから、石を探すのも好き。川辺で石を見て、いい形だな、と思うとひろってくるのよ。それでまた家でじっと見ていると、なにか動物に見えてきたりする。石の上に絵を描いてみたら、見事にライオンになったりね。おもしろいですよ。
それから、妖怪にも興味がある。私が主宰する「小さな絵本美術館」は岡谷の他に八ヶ岳にもあるんだけど、夏に子どもたちと真っ暗闇の中を歩くイベントしたの。するとね、闇の中に「あ、何かいるぞ」って感じるのよ。妖怪は自然とも関係があると思うなあ。
2024.05.28