鳥寄せのてんまつ|『野鳥の図鑑』薮内正幸 さく
作家の小風さちさんが、絵本作家たちとのエピソードをまじえながら綴った、絵本の魅力をじっくり味わえるエッセイ。第5回は、薮内正幸さんの『野鳥の図鑑』です。
鳥寄せのてんまつ
『野鳥の図鑑』 薮内正幸 さく
小さな庭に何か楽しいことが起こらないかと考え、鳥寄せを作った。鳥寄せといっても植木鉢を吊した代用品だが、罠でも仕掛ける気分でわくわくした。熟した柿をのせ、そっとレースのカーテンを閉める。窓の桟には双眼鏡と、薮内正幸氏の『野鳥の図鑑』。
ところが、待てど暮らせど雀一羽飛んで来ない。10日ほど辛抱していると、柿がいささかくたびれてきた。もう止めようかと弱気になった頃、やっと来た。息をひそめて双眼鏡をのぞく。そっと図鑑を繰る。ヤブさんの声がする。
「背の羽の色は何色だい?」
「黄緑色」と私。
「雀より小さいかな?」
「小さい」
「目のまわりは白い?」
「うん、白い」
「サッチャン君。それはメジロだ」
亡くなって12年も経つのに、ヤブさんの気配はまだこの世から消えない。ヤブさんこと薮内さんは、私をサッチャン君と呼んだ。ずっとサッチャンだったが、文章を書く仕事をはじめてしばらくすると、いつのまにか「君」がついた。以来、ヤブさんが亡くなる二日前まで、私はサッチャン君と呼ばれた。
ところで、私は図鑑を見るのが案外好きだ。お話を書いていると調べ物が多く、図書館の図鑑にはずいぶんお世話になっている。鳥の生態を調べる機会は多く、ヤブさんの存命中は電話一本で速効調べがついたが、亡くなってからというもの懸命に『野鳥の図鑑』を繰っている。去年の夏はどういうわけか蝉に夢中になり、蝉の図鑑に首っ引きだった。中でも好きな一冊があって、夏の間中〈貸し出し延長〉をくり返した。熊の図鑑、野草の図鑑、蛙の図鑑に深海魚の図鑑も美しい。図鑑ではないが『漂着物事典』というのを大事にしており、海岸に流れ着いた漂着物の事典なのだが、これはトイレに置いてある。
書棚には『鯨類・鰭脚類』という図鑑があって、宝物にしている。1960年代に福音館書店が本格的な動物事典を作ろうと企画したものだが、後に東京大学出版会で出された。鯨や鰭脚類(ききゃくるい)、すなわちアシカやオットセイなど鰭(ひれ)を持つ動物の事典だが、この標本画をわずか20代の薮内さんが描いている。銅版を使った印刷によるもので、ヤブさんの処女作といってもいい。その静かで端正な絵を見ていると、ヤブさんが終生標本画家であることを貫かれた原点が、ここにあるような気がしてくる。ヤブさんは決して、絵をもって叫びも泣きも笑いもしない。標本画家は決して、自分が描く絵を自分の絵にしない。だから、ヤブさんの描く図鑑には不滅の力があるのだと私は思う。『野鳥の図鑑』の最大の魅力は、その鳥が生きているように淡々と描かれて、これはメジロ、これはホトトギス、これはミソサザイと、画家の単純明快な呟きだけが聞こえてくるところだと私は思う。
さて庭の鳥寄せだが、メジロは覚えが良い。仲間の夫婦を誘って次々やってきた。気分を良くし、毎朝熟した柿を置いてやると、ほどなく鶸色(ひわいろ)に白と黒の身だしなみのよいシジュウカラが加わった。シジュウカラはツピツピと慎ましく鳴いて、柿の周りを飛んだ。しかし、小鳥達の楽園は長くは続かなかった。屈強なヒヨドリに鳥寄せの在処を見破られたのだ。ヒヨドリは小鳥達を追い払い、柿をまたたく間に食い尽くし、ヘタだけ地面に落とした。挙げ句、もっとくれろとビービー鳴く。脅しに窓を開けてやると、ジッ!という捨て台詞である。だがみたことか。ある朝鳥寄せにネズミが現れた。ヒヨドリは不思議とおとなしくなった。双眼鏡で見ていると、ネズミは細い手足を懸命に伸ばして柿に届こうと必死である。ほーう、なかなか愛らしいではないか。ところがその頃から野良ネコがうろうろしはじめ、ある朝庭に小さな血痕を発見するに至って、私はさすがに鳥寄せを撤収した。
小風さち(こかぜ・さち)
1955年東京に生まれる。1977年から87年まで、イギリスのロンドン郊外に暮らした。『わにわにのおふろ』などの「わにわに」シリーズ、『とべ!ちいさいプロペラき』『あむ』『ぶーぶーぶー』『はしれ、きかんしゃ ちからあし』『おじいちゃんのSLアルバム』など多数の絵本、童話作品を手がける。
2017.08.10