『アリになった数学者』刊行記念対談 「からだをとおして考える 数とことば」@教文館(後編)
ルールの「可変性」を認識するのが大切
森田:はじめて「わからない」って言ったのはどんな問いだったんですか?
伊藤:普通の算数の問題だったと思う。
森田:それに対してどう思いました? 小学校行ったことによって、そうなってしまったわけじゃないですか。
伊藤:幼稚園の頃の必死に説明するお話を楽しんでいたので、残念でしたね。足にあるあざがどうしてそこにあるのか、ということをすごく気にしていた時期があって、生まれつきっていう概念では納得しないので、コウノトリが運んでくる時にガードレールにぶつけたって言って理解をしていたんです(笑)。それに結構感動して、謎があって、それを解釈しようとした時に神話が生まれるんだなって。それがなくなったので、すごいつまんないやつになったな~って(笑)。
森田:つまんないやつらにならざるを得ないんですかね僕らは。
伊藤:歌う時のノり方も左右対称になったりして、それまでは無茶苦茶に踊ってたのに、小学校怖いなと思いました。だから、ルールが可変的であるということを教えることはすごく重要だと思って。遊ぶ時とかのルールとかは、その場にいるメンツによってうまく作り替えたりしてますけど。小学校でそういう教育はなかなかないと思うので、ルールを変えることを普通の生活の中でもやっていくといいのかなと。
森田:ルールが比較的安定していた時代は、小学校でルールを身につけるということが大事だったと思うんですけど、今はルールが変わっていってしまう時代なので、何より大事なのはただルールに素直に従う力を身につけることより、自分がいまどういうルールに服従しているかを、いつでも自覚できるようになることだと思います。
抽象化によって失われる「粘り気」
伊藤:やっぱり先生は本当にわからないことだけを生徒に質問したらいいと思うんですけどね……。つるかめ算とか、実際に見たら絶対にわかる話じゃないですか(笑)。
森田:非現実的な状況設定は、数学にとって本質的です。「幅のない直線」にせよ、「大きさのない点」にせよ、数学の依って立つ基盤は、いつでも非現実的です。だからこそ、そこで「論証」や「計算」のような、厳密な手続きが通用する。数学の厳密さの背景には、非現実的なまでに理想化された設定がある。このことをきちんと理解していることは、数学を学ぶ上でとても大切です。
伊藤:私は抽象化を結構警戒してしまうんですよね。ただ、自分の中でいろんなことを抽象化してるんだなって気づくことがあって、特に子どもと接していると、さっきの色彩とかも、抽象化の産物だったんだとか。子どもが絵を描き始めた時は、まず自分が電車になって運動した軌跡を絵にしてたんです。それが、どこからかすごくパターン化された、電車の「図」になって、そこから先、本物の電車を見て書くようになる。一回抽象化して、図式的な時期を経て、また視覚的にっていうのが、おもしろいなって。
森田:抽象化を警戒するっていうことは、抽象的じゃない仕方でものを見られてる時があるっていう感覚があるということですよね?
伊藤:なんていうんでしょう、抽象化すると「粘り気」みたいなのがなくなるじゃないですか。体のこととか考えていると、自分では制御不可能なことが勝手に起こっていくんですよね。吃音とかも、こうしたら喋れるはずだとかがあったはずなのに、いつの間にか体の状態が書き換わっていて、それが通用しなくなったりしているわけですよ。そういうよくわからないことが多いのに、抽象化してしまうとそこが落ちちゃう。それは人間の知性にとって未知な部分を考えないことにしていて、ズルじゃんみたいな感じがあって(笑)。だからその「粘り気」みたいなものを捨てたくないんですよね。
森田:ウィトゲンシュタインはそれを「滑りやすい氷」と「ざらざらした大地」って言ってるんですけど、具体的な現実には「粘り気」があるのに、理想化された数学の理論は「滑りやすい氷」みたいで、摩擦が足りない。綺麗なんだけど、動きが取れない。それで氷を離れて「ざらざらした大地」へ、というのが彼の後半生なんですが。でも、つるつるした氷っていうのも「ざらざらした大地」の上に成立するので、実は二項対立はできない。数学は抽象的っておっしゃったけど、数学の概念を成立させていく歴史を紐解いていけば、そこにあるのはひたすら具体的で生々しい、生きた人間たちの格闘の軌跡です。荒川修作が、「この世に抽象的なものなど何一つない」と言っていたのを思い出します。
伊藤:まあ数式とかも手垢がついているというか、人類が長い歴史をかけて生み出してきたものというか。そう思うとすごく愛おしい。
森田:数学の抽象性は、人間の身体にまみれた抽象性なんですよね。
伊藤:そこが多分森田さんの功績で、数学に「粘り気」を託してるところ。そういう風にみんな数学を見られてなかったと思うので。数学ってこんなに泥臭いんだ、と(笑)。
数学と身体、「わかる」ということ、人間があえて従っている「規則」、そして私たちが日々むきあう「粘り気」のある世界と、その上に成立する豊かな「抽象」の世界。自由自在に広がるお話に引き込まれ、1時間半があっという間の対談でした。
※ 岡潔(1901 - 1978) 日本の数学者。「多変数解析関数論」の分野における難題を解決し、世界的な数学者として認識されている。
森田真生(もりた・まさお)
1985年、東京に生まれる。2歳から10歳までアメリカのシカゴで育つ。小さい頃から数が好きで、怪我をしても、たし算の問題を出されるとすぐ泣きやんだ。中学校、高校と、バスケットボールに夢中になった。大学では文系の学部に入学し、さらにロボット工学を学ぶ。そのなかで、友人や先輩から数学の面白さを教えられ、幼いころに抱いた数への関心がよみがえる。数学科への転向を決意し、東京大学理学部数学科で学び、卒業。現在は京都に拠点を構え、在野で数学の世界を探究する。全国各地で「数学の演奏会」を開催中。数学を、音楽のようにたくさんの人の心に届くように「演奏」したいと願っている。著書は『数学する身体』(新潮社)。同作で第15回小林秀雄賞受賞。子どもにむけた出版は本作がはじめて。
伊藤亜紗(いとう・あさ)
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。研究のかたわらアート作品の制作にもたずさわる。主な著作に『『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『みえるとか みえないとか』(ヨシタケシンスケ 作、アリス館)、参加作品に小林耕平《タ・イ・ム・マ・シ・ン》(東京国立近代美術館)など。趣味はテープ起こし。インタビュー時には気づかなかった声の肌理や感情の動きが伝わってきてゾクゾクします。
2018.11.08
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