絵本作家の誕生日

6月21日 村岡花子さん|日本の子どもの本の世界を切り拓いた先駆者

月に1回、その月にお誕生日を迎える作家・画家とその作品をご紹介する「絵本作家の誕生日」。6月21日は、『赤毛のアン』の翻訳で知られる村岡花子さん(1893-1968年)のお誕生日です。

日本の子どもの本の世界を切り拓いた先駆者

村岡花子さん(1893年6月21日生まれ)


今日6月21日は、村岡花子さんの誕生日です。1893年の今日、山梨県甲府市に生まれました。4年前のNHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」のモデルとして、ご存知の方も多いことでしょう。

村岡花子さんは、5歳の頃に一家で上京し、品川の尋常小学校に入学。10歳でカナダ系ミッションスクールの女学校に編入学します。成績優秀が条件の給費生として、人一倍勉学と読書に励みました。
寄宿舎での慣れない生活に戸惑いながらも、カナダ人の宣教師や当時の上流階級の上級生たちから欧米の生活スタイルを学んだそうです。
卒業後は、甲府市にある姉妹校の女学校で5年間、英語教師として教壇に立ちます。勤務の傍ら、文芸雑誌に童話や少女小説を執筆していました。再び上京してからは、銀座・教文館で翻訳・編集を手がけ、結婚後は、夫と出版社を立ち上げ、子どもも大人も楽しめる家庭文学を提唱し出版活動に尽力します。また、一人息子を疫痢で亡くした深い悲しみのときを経て、子ども向けのラジオ番組にレギュラー出演して全国で人気を博すなど、子どもたちのための仕事を続けていました。

1939年、世界情勢が悪化するなか、帰国を決意した友人のカナダ人宣教師から1冊の本を託されました。「いつか平和が訪れたとき、この本をあなたの手で、日本の少女たちに紹介してください」と。それが、11歳の孤児、アンの物語『Anne of Green Gables』でした。村岡さんは、敵国の言語であった英語の本を隠し持ち、空襲に怯える日々のなかでも、いつか出版したいという強い意志で密かに翻訳し続けていました。そして、終戦後、1952年に翻訳出版された『赤毛のアン』は、戦争で傷ついた多くの若い女性たちの支持を得て、ベストセラーになりました。アンの物語は、戦後の日本に贈られた「明日への希望がわく物語」だったのです。

福音館書店では、村岡花子さんによる翻訳絵本を3冊刊行しています。『赤毛のアン』の出版から9年後、1961年刊行の『いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう』『アンディとらいおん』、1963年刊行の『ごきげんならいおん』です。どの絵本も、1960年に生まれた初孫の健やかな成長を願いながら翻訳をなさったそうです。
すでに長く子どもの本の世界で活躍されていた村岡花子さんに翻訳をお願いしたのは、かねてより村岡さんと交流のあった石井桃子さんを介してのことでした。また、1952年に村岡家の自宅に開設された日本初の家庭文庫「道雄文庫ライブラリー」では、当時大学生だった渡辺茂男さんがお手伝いをしていました。戦後、日本児童文学界で活躍したおふたりにとっても、村岡花子さんはその道を指し示してくれた先駆者でありました。

※村岡花子さんの生涯について詳しくお知りになりたい方は、ドラマの原作にもなった『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(村岡恵理著、新潮文庫)をお読みください。

2018.06.21

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