【母の友・再録】さとうわきこさんインタビュー

【対談】ディック・ブルーナさん×さとうわきこさん

絵本作家さとうわきこさん(1935-2024)のお人柄や絵本作家としての歩み、また創作の裏側にふれていただけるよう、これまでに雑誌「母の友」に掲載したインタビューを再録してお届けします。

1997年、ディック・ブルーナさんが自作のプロモーションのために来日された際に行われたインタビューでは、さとうわきこさんが聞き役をつとめ、絵本作家対談となりました。文と絵、どちらを先に書くのか? 気分転換の方法は? など、作家同士ならではの貴重なやりとりの記録です。
(通訳:イサベル・田中・ファン ダーレン/写真:𠮷原朱美)

線はとても大事です

さとう 私がブルーナさんの本に出会ったのは、まだ絵本の仕事を始める前です。すごい本が出たなと思いましたね。そのころはデザイナーとしてデザイン事務所で仕事をしていましたが、ブルーナさんの絵本というのは非常にデザイン的で、絵本の世界では珍しい作品だと感じました。

絵を描くときには線にとても気をつかって何回も描き直しをなさるということですが。

ブルーナ 私の本は大体絵と文章がそれぞれ12ページで一冊というのが多いのですが、一冊につき100枚は描きます。線は自分のサインみたいなものですから、そういう意味で非常に大事にしているんです。

さとう わかります。しかしそれにしてもたくさんなので、さぞ疲れるだろうなと思ったんです(笑)。

ブルーナ まあ、100枚はちょっとオーバーかもしれませんが、かなりの枚数を描きますね。絵本はもう90冊作りましたけれども、90冊作っても、だんだん楽になるということはなくて、初めと同じように難しい仕事です。技術的には多少進歩しますが。そういう意味で、絵本を描くのは自分でもどきどきする緊張感のある仕事なんです。またそうでないと、本当に労働という感じになってしまいます。やはり前のものより良い作品を作りたいという気持ちはいつもありますから。

(さとうさんの「ばばばあちゃん」の絵本を見ながら) さとうさんはペンで描くことが多いんですか。


さとう そうですね。ただ、絵本はペンですが、そうでないものは筆で描くこともあります。

ブルーナ 独特のスタイルをお持ちのようですね。それはとても大切なことです。

さとう ブルーナさんが一番初めに描かれた「うさこちゃん」と、後で描き直された「うさこちゃん」を比べると、後の方が強烈な個性というか、見る人に強く訴える力があると私は思うんですが、ブルーナさんご自身はなぜ描き直しをなさったんですか。

ブルーナ それは自分ではそんなに意識的ではなかったんです。オランダで展覧会をしたときに、今までのうさこちゃんを全部並べるという展示があって、そのとき初めて、ずいぶん違ってきているということに本人が気づいたというわけです。どんどん人間らしくなったという気がします。

あとは単純化ということがありますね。例えば、一番最初の「うさこちゃん』では、本を開いた左右のページにそれぞれ絵があって下に文章がついています。それを子どもに読んでやると、左のページを読んでいるときに、右にある次の絵も一緒に目に入ってしまうでしょう。

また、文章は一応韻を踏んであります。韻のある文章を2回読んでもらえば、子どもはよく覚えて、3回目にお母さんが言葉を一つ変えても、「こうだよ」と指摘します。ですから言葉の単さも非常に大切で、そういう意味でもだんだん変えていくことになりました。

さとう よくわかりました。ほかの本もすべて「うさこちゃん」のように、要らないところを取った単純明快な形を意識していらっしゃるんですか。

ブルーナ 90冊の本の内「うさこちゃん」は19冊で、ほかに様々なキャラクターがあります。「うさこちゃん」は子どもらしい感じですが、「ぶたのうたこさん」は、どちらかというとおばさんの感じです。クマの絵本では、男の子は男らしく、女の子はちょっと賢くして、というようにいろいろな性格にしています。けれども、いつも単純さを求めているということでは同じです。単純であれば、子どもは絵以上のことをいろいろ想像できますから。

さとう 単純だと想像する部分が多くなるということですね。

ブルーナ そうです。初めはあれこれ描き込むんです。それを単純さを追求してだんだん削っていくのが一番難しい作業です。どこまで削るのか。削りすぎるとだめだし、あまり残すと単純さが害なわれるし。

私の本はいろいろな国で出版されましたけれど、その国に合わせて一々変える必要はありませんでした。単純な絵なので、どの国でも何が描いてあるかすぐにわかったんです。例えば日本では稲を刈り取ったあと、こういうふうに掛けるでしょう。

さとう 「はさ」ですね。

ブルーナ オランダのものは日本のとは大分違う形をしているけれど、それの出ている本が日本ではよく売れたんじゃないかな(『きいろいことり』に“ほしくさごや”が出てくる)。単純だから形は違ってもすぐわかったんじゃないかと思います。

さとう それは確かですね。

ブルーナ うさこちゃんは特にそうですが、子どもがうさこちゃんは自分だと感じて、そこに自分のまわりのこととか自分の気持ちとかを込めることができるんですね。

去年、「うさこちゃん」のシリーズで死を扱った話を出しました(『うさこちゃんの だいすきな おばあちゃん』)。うさこちゃんのおばあちゃんが亡くなるんです。うさこちゃんはそのとき初めておじいちゃんの涙を目にします。しかし最後は悲しいことだけじゃなく、いい終わり方になるようにしたいので、うさこちゃんが次の日森の中のおばあちゃんのお墓に庭を作って、おばあちゃんが好きだった花を植え、そこでおばあちゃんと話をしたような感じがした、という話にしました。

さとう 子どもの本はハッピーエンドがいいとおっしゃっているのに、死をテーマにするというので、どういうふうに描かれるのかなと思っていました。お墓のところに庭ができるというのはいいアイデアですね。

ブルーナ このような「死」はどこの家族にもあることですから、親たちからはかなりの反響がありました。この程度の死についての話なら、小さな子どでも何とか受けとめることができると思います。
 

まず絵でストーリーを

さとう 下絵は水彩で描いて、印刷のときに、いつもこの色、ということで指定しているのですか。

ブルーナ はい。特に「うさこちゃん」は全部色が決まっています。例えば空はもちろん青で、しかもいつも同じ青。太陽は黄色で、芝生は緑。

さとう 最初の絵本と同じ色を指定しているということですね。

ブルーナ シリーズの最初の絵本の『りんごちゃん』は少し違いますが、今「うさこちゃん」はすべて同じ色で、原色に近い色です。「うさこちゃん」以外では、例えばクマはやはり茶色でないとだめなんだけれど、その場合もなるべくほかの原色と同じ強さの茶色を選んでいるつもりです。普通は茶色は使いません。どうしても必要なときにだけ新しい色を追加します。ゾウも灰色でないとだめですね。

さとう 若いころに影響を受けた画家があったとお聞きしていますが、今、現代の絵描きさんの絵を見て、いいなと思ったときに、その影響を受けてちょっと違う絵を描いてみたくなることはないんでしょうか。

ブルーナ ほかの人の作品を見て感動することはあります。でも自分自身はどうしても自分の世界に戻ってしまうんです。子どもが小さいときに、漫画を描いて、と言われたことがあったけれど、描けないんですよ。自分の絵になってしまう。私はある意味で絵描きではなく、どちらかというとデザイナーなんです。

今のようなスタイルの絵にしたのは、それまでの子どもの絵本の絵が、すごく精密できれいだったけれども、子どもにとっては複雑過ぎた。むしろ親や先生のための本だったからです。私は子どものための本を作ります。ですから、大人だけがわかる冗談とか、そういうものは一切使いません。

さとう 確かに、そういう意味で画期的な絵本だったと思います。すごく新鮮な感じで目にしたという記憶がありますね。ところで制作するとき、文と絵とはどちらが先なんですか。

ブルーナ 私のキャリアは絵を描くことから始まりました。絵本を作るようになる前は、推理小説のシリーズの本の装丁とかポスターとか、そういう仕事から始めたわけです。ですから絵本を作るときにも、頭の中にある大ざっぱなストーリーを、まずは12枚の絵で表現してみます。それをするうち少しずつ言葉の方も湧いてくるんですが、とにかく最初は絵を作って、そのあとに言葉をつけていくわけです。

さとう 途中で、初めのプラン通りでなく、これはこうした方がいいとかで変えていくことはあるのでしょう?

ブルーナ もちろん。どうしても絵にならない話とかあるんですね。それから、それぞれの絵に、1枚ずつでも一つの作品として壁にかけられるような質がないとだめですね。12枚描いてみて、その中にほかの絵と比べてちょっと落ちるとか、気になるものがあれば、完璧になるまで描き直します。自分の持っている力を100%出さないと絶対にうまくいきませんね。
 

気分転換の方法は?

ブルーナ 一つの本の制作には何カ月もかかります。その間は一人で部屋にこもってだれにも見せません。妻にも見せないし、だれか子どもに見せて試してみるということも絶対にしません。ちょっと子どもの本を作ってみよう、というような気持ちではなく、本気で取り組んでいますから。それで何カ月もかかるんです。できあがったら妻に見てもらいます。何カ月も一人で同じものをやっていると、本当にいいのかどうかわからなくなってしまうんですよ。そういう意味で制作中は気分的にすごく不安定です。出来がいいか悪いかは妻の顔を見ればわかります。もしだめなら、それはお蔵入り。 彼女とは40年間以上そうやってきました。

さとう 仕事中に疲れたら運動とかなさるんですか。

ブルーナ 体は疲れます。でもスポーツはしません。自転車は乗りますけれど。場合によっては立ったまま描くこともあります。

さとう それはいいですね。ずっとすわってかがみこんでいるより、立っていた方が腰に負担が来ませんからね。歩くのもいいそうですが。気分転換はどのように?

ブルーナ やっぱり何時間も仕事をすれば、ちょっと散歩したりとか、ほかの人と話をしたりしたくなりますよ。

さとう そういうときにアイデアが湧いたりすることもあるんでしょうね。

ブルーナ 時にはね。どうやっていいかわからなくなることってあるでしょう。そんなとき、ちょっと離れるといいわけです。それでもだめだったら、そのときはもうアトリエを閉めて出ていってしまう。

さとう 私もそうです。


ブルーナ 少し間をあけるといいんですね。やはり機械じゃないですから。

さとう 毎日まじめにこつこつとやってらっしゃるのかなと思ったんですけど。

ブルーナ 日によって違いますよ。

さとう 仕事中に手を休めることは? 例えばお腹が空いたときとか。

ブルーナ そういうときはちょっと食べるんですよ。途中で甘いものをつまんだりもしますし。

さとう 食べずにやるのかなと思いました。

ブルーナ やはり男のほうが楽でしょうね。女の人は食事の用意をしなきゃならなかったりで中断せざるを得ないことが多いでしょう。

仕事場と家は別で、普通の人と同じように毎日仕事場に通います。朝は八時には着いて、朝のうちになるべくたくさん仕事をしてしまう。午後は進み具合が鈍るので、片付けをしたりとか、そういうときにアイデアが出てくることもあるんですね。

さとう 私もまったく同じです。仕事を全然してない、ほんとに何でもないときにふっと出てくるんですよね。

ブルーナ みんな、同じですね。

さとう 健康でいらっしゃいますか。

ブルーナ まあ、良好です。今年で70だから手が少し硬くなったりとかカルシウム不足とかありますけど、悩みはほとんどありませんね。

さとう 私は病気持ちなのでうらやましいですね。おしまいに、子ども時代に読んだ本で印象に残っている本をお聞きしたいのですけど。

ブルーナ 『クマのプーさん』。絵がすごく良かった。それから『ぞうのババール』。日本の作品では安野光雅さんのものがけっこう好きです。『旅の絵本』とか『ABCの本』とか、とてもきれいですね。

(「母の友」1997年8月号記事「絵本作家訪問記 番外編」より)

2024.05.28

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