詩に出会うための、豊かな物語『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』
詩に出会うための、豊かな物語
『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』
タイトルに、詩集、とついていますが、この本は全体が10章からなる一つの物語になっています。登場人物は「ぼく」と「きみ」。詩が好きで、本に囲まれて一人で暮らす〝いい年をしたおっさん〟の「ぼく」が、カップめんのお湯を入れたところに、近所に住む小学生の「きみ」が「ねえねえ」と訪ねてきます。
「せんせいが、おまえは本を読めっていうんだ。ことばがなってないから」
「ことばがなってない? またすごいこというせんせいだな」
「ゲームのほうが、ぜんぜん、おもしろい」という言葉の文法の誤りを学校の先生に指摘されたという話に、「ぼく」は本棚から一冊の詩集を抜きとってページを開き、「ここんとこ、読んでみな」と手渡します。
藤富保男「あの」
「あなたも笑ったし/僕も笑わなかった/のであった/のであったり/世界は何を待ってるか/と云う人がいて/何だかさっぱり分からない人もいて/そして/待っていたのである/のではなかったり/のであったりした/のであった」
「きみ」は「詩ってこんなでたらめを書いていいの?」と嬉しそうに笑います。
「ぼく」は、でたらめをやるのは難しいんだ、と応じます。そして、文法的には間違っていても、「きみ」の「ぜんぜん」には、先生の言葉に「そうじゃない」と反発した気持ちがきちんと入っていた、それは「ただしいことば」なんだと言います。詩は、そんな言葉と言葉の隙間にある気持ちをすくい取ってくれる。「きみ」は、「詩ってなんだかおもしろい」と思います。
各章には、オノマトペ、比喩表現、リフレイン(繰り返し)など詩をめぐる多様なテーマが設定されていて、詩の世界の奥へ奥へと「きみ」を導いてゆきます。
紹介されるのは、まど・みちお、萩原朔太郎、石垣りん、長田弘、中野重治といった詩人たちによる20の詩。明るく楽しい詩ばかりではなく、生きていることの根源的な不安や、人間の言葉が持つ暴力性を浮かび上がらせる詩もあって、「ぼく」が「きみ」を、子どもと軽んじることなく、一人の人間として敬っていることが伝わってきます。
終盤、明らかになるのが、「ぼく」と「きみ」の間の、ある人物の〝不在〟です。
詳しくはぜひ実際に読んでほしいのですが、そこで描かれるのは、今ここにない時間を、私たちの目の前に結び付けるのが「ことば」だという、詩や物語の本質とも言えるものです。「ぼく」は「きみ」が帰ったあと、一人になって思います。
ばしょが、二か所あったら、それは、ひとつにならない。ぜったいに。
かこと、現在とか、みらいでも、ふたつのべつのじかんが、あったら、それは、いっしょにはならない。ぜったいに。
でも、ことばは、それを、ひとつにすることが、できる。
「きみ」はあっという間に大人になっていく。その中で、いろんな気持ちや出来事を忘れていくかもしれない。それでも、詩に出会い、言葉の世界を広げることができれば、別の場所、別の時間と再びつながることができる。
今を生きる「きみ」である子どもたち、かつての「きみ」であり、現在「ぼく」として「きみ」に向き合う大人たち、どちらにも手にとってもらいたい本です。そして、いつか、「ぼく」と「きみ」のように、色んなことを語り合ってもらえたら嬉しいです。
著者の斉藤倫さんは詩人として活躍される一方、長編物語や絵本の文章も手がけています。福音館書店での著作には『どろぼうのどろぼん』『せなか町から、ずっと』『クリスマスがちかづくと』、絵本『とうだい』があります。
装画は漫画家の高野文子さん。装丁は名久井直子さん。
「日々の絵本」担当F
チーム新加盟。入社15年目。趣味(最近)は野鳥観察と盆踊り、好きな場所は本屋さん。
2019.05.17