今月の新刊エッセイ|小沢健二さん『アイスクリームが溶けてしまう前に(家族のハロウィーンのための連作)』
9月の新刊『アイスクリームが溶けてしまう前に(家族のハロウィーンのための連作)』は、小沢健二さんと日米恐怖学会初の絵童話。本場・アメリカのハロウィーンを舞台に、家族で過ごす特別な時間を描いたこの作品には、子どもと本についての小沢さんの思いが込められていました。
コーナーキックを蹴る
小沢健二
まだ文を読まない年齢の子どもから見て、世の中はどんな風だろうと、大人は誰しも思う。
子どもは、大人の聞く音楽を聞いている。あるいは、大人の見るテレビを見ている。つまり、絵や音は、子どもたちに向かって開いている。
しかし、文字というやつは、子どもたちに向かって閉じている。だから大人の本は、子どもたちに向かって閉じられている。
それどころか、子ども向けの本さえ、実は子どもたちに向かって閉じられている。そのために子どもは、「これ、読んで!」と、閉じられた本の鍵を大人に開けてもらう必要があるのだ。
そんなわけで、「子ども向けの本を読んでいる」のは、実は大人である。子どもは本を、見て、聞いているが、読んではいない。
子どもの本の「読者」は、大人。
しかも、読み聞かせをする大人は、結構な努力をして読む。強弱をつけて。節をつけて。優しいところは優しく、怖いところは怖く。
そうやって、自分が読む本ではありえないくらいの努力をして読み上げるから、内容も心に響いてくる。もし読み聞かせした本に一切影響を受けないとしたら、あなたの心は鉄よりも硬く、氷よりも冷たい。
子どもの本の読者は、大人。
さて、「子どもにとって良い本」とは何だろう? 子どもたちは一人一人違うから、「子どもにとって良い本」は、子どもによって違う。
けれど、一つだけ違わないことがある。
そう、「子ども向けの本」のそばには、必ず誰か、大人がいるのだ。文字という鍵がかかっている本を、子どものためにパカッと開けてあげる大人が。
その大人は、両親だったり、叔父叔母だったり、近所の人だったりするだろう。
その大人は、その子を知っている。その子が、どんなことを喜ぶか。どんなことを、待っているか。
その大人は、絵本の作者からは届かないその子の手を握って、一緒に何か、楽しむことができる。
『アイスクリームが溶けてしまう前に』のゴールは、大それたことに、そして古風に、「子どもにとって良い本」であること。
でも作者である僕らは、そのゴールを直接狙ってはいない。サッカーで言えば、コーナーキックのようなもので、ゴールのそば(つまり子どものそば)にいる大人を目がけて、球を蹴っている。
もし「読者」である大人のあなたが、『アイスクリーム』を読んで「よし、この子と楽しいハロウィーンの夜を過ごすぞ!」と思い立ってくれたら、その時『アイスクリーム』は「子どもにとって良い本」になれる。
別に、ハロウィーンじゃなくてもいい。いつだっていい。不思議な縁でつながっている大人と子どもの時間のどこかで(その多くでは、一緒にぼんやりと画面を見ていたり、「それ、全然違うよ!」といさかっているとしても)、伝説になるような時間が起こってくれれば。
仕事や勉強という、大人につきまとう厳しいマークを振り切り、どうかバシッと、華麗な、あるいは泥くさいゴールを、決めてください。
お願いいたします。
小沢健二(おざわ・けんじ)
ミュージシャン、作文家。音楽作品『ラブリー』『ぼくらが旅に出る理由』『今夜はブギーバック』『強い気持ち・強い愛』『さよならなんて云えないよ』『流動体について』など。作文作品『ドゥワッチャライク』『うさぎ!』『赤い山から銀貨が出てくる』など。米国と日本に在住。1968年生。
日米恐怖学会(にちべいきょうふがっかい)
ハイ・スタンダードを始めPizza of Deathレコーズの装幀で知られるイラストレーター ダイスケ・ホンゴリアンとミュージシャン 小沢健二、写真家 エリザベス・コール、ファッションディレクター 白山春久という4人の人間、そして不明数の怪物たちで構成される団体。楽しい恐怖、心踊る恐怖を提唱し、嫌になっちゃうような恐怖、お先真っ暗な恐怖に対抗する。『アイスクリームが溶けてしまう前に』では、気鋭の恐怖写真家 守本勝英の協力を得た。
2017.09.21