第3回 精興社 朝霞工場(前編)
一冊の本は、どうやってわたしたちの手元に届いているのでしょう。3月刊行の『家をせおって歩く かんぜん版』が完成するまでの様子を、作者の村上慧さんが本作りの現場をめぐるエッセイでお届けします。第3回も精興社さんにご協力いただき、朝霞にある印刷工場を見せていただきました。
『家をせおって歩く かんぜん版』がとどくまで
第3回 精興社 朝霞工場(前編)
この連載は本がつくられる過程と同時に、僕の新しい家の制作過程を報告するという企画だ。しかし家の実制作にまだ着手できておらず、では何を持って行こうかと考え、今回は模型をつくっていくことにした。というわけで2月7日朝、僕は前日になんとか完成させた家の模型を持って朝霞にある精興社の印刷工場を見学するべく京王線の上り電車に乗りこんだ。ちょうど通勤ラッシュの時間で「種無しマスカット」の箱に入れた模型を守りながら僕は朝霞駅に到着した。
(上の写真)印刷工場の門に乗せて撮影し、この日の模型の役割は終了した。
(中央の写真)今回も営業部の湯浅さんと井上さんが案内してくれた(前回の写真と比べるとお二人とも髪が伸びている)のだけど、この原稿では案内してくれた順番ではなく、印刷の工程にそって書いてみようと思う。
(下の写真)なんとこの日も社長の白井さんが挨拶に来てくれた。左がプリンティングディレクターの朏(ミカヅキ)さん、中央が白井社長、右が朝霞工場長の芹澤さん。この芹澤工場長は営業部のお二人とともに僕たちに終始付き添って様々な説明をしてくれた。
印刷所に入るとまずいろいろな機械の音の大きさに驚く。人と話をするのに、すこし声をはらなくてはいけない。僕の表紙の印刷がまさに始まるところで、荷物をおいて一息つく間も無く、朏さんに色見本とここで印刷したものの色に違いがないかチェックしてほしいと頼まれたので、僕は(今思うと)よくわからないままざっと見て「僕の目では大丈夫のようにしか思えないんですが……」と言った。すると朏さんが「ではここにOKのサインをお願いします」と言うので、言われるがままOK!とサインをした。
すぐに「4号機」と書かれた巨大な黒い機械が動き出し、僕の本の表紙が1秒間に何枚ものスピードで次々にはきだされてきた。自分で「OK!」と書いてしまったので、なにかミスがあったらどうしようという不安をおぼえつつ、僕は馬鹿みたいに「すげーすげー」と言いながらそれを見ていた。
そうして印刷されたばかりの表紙を、朏さんが「これはまだ乾いていないので、こうやってこするとインクが擦れてしまいます」と言って、一枚やってみせてくれた。僕は「おお本当だ!」と言いつつ「せっかく印刷したのにダメにしちゃって大丈夫ですか?!」と思った。この感覚の違いが、印刷業のイロハも知らない僕と、長年この仕事に携わっている朏さんとの一番の違いだということを、あとで知ることになる。
当然ながら印刷所では僕の本だけでなく、いろいろな本を同時並行で次々に印刷している。さらにそれはページごとに印刷されるので、印刷所の中はいろいろな本のいろいろなページが印刷された山があちこちにあり、普段書店などで目にするような「本が本ごとに並んでいる景色」とは全然違う。印刷の納期は本ごとにあるので、とても複雑なタイムラインで工場が動いているのだろうけど、僕の到着に合わせて精興社のみなさんが表紙の印刷を調整してくれたのだ。
さて、このように印刷が始まってしまった(大量に自分の原稿が印刷されるのを見るのは嬉しい反面、「こんなにつくって大丈夫か..?」とも感じる)僕の本がどのように作られるのかをこれから見ていく。
(上の写真)前回見学させてもらった神田事業所では原画をスキャンし、データを調整して印刷し、その印刷したものをさらに原画と見比べ色を合わせて印刷した色校(原画に近づけた印刷物)をつくっていた。
その最終データと色校が朝霞工場に送られ、まずは刷版(オフセット印刷のための版を作ること)という作業が行われる。この工程を説明してくれたのは、刷版を担当している新井さん(デスクの上にあるのは、福音館書店の絵本で人気の「だるまちゃん」と「トマトさん」のぬいぐるみ、らしい)
新井さんはフィルム刷版を5年やったあと、現在のフィルムを介さずに版を作る「CTP出力機」という巨大な機械をつかった刷版を担当している。刷版の作業場は1階の印刷所に比べて静かで、部屋では二人のオペレーターが淡々と作業をこなしていた。新井さんは印刷所の人々と比べて挙動がゆったりとしていて、それがこの工程の性格を表しているなと思っていた。だけど誰かから電話があり、すこし話したあと、僕たちに「すいません」と声をかけながら突然走り出し、部屋の隅から隅へ移動して何かを確認していた。さっきまでゆったり動いていたのでびっくりした。この印刷工場のなかで、部屋は違っても時間の感覚は共有されているのだろうなと思った。
CTP出力機は長さ5メートルはありそうな大きなもので、刷版作業は全てこの機械が自動でおこなってくれる。1時間で40版くらい作ることができる。新井さんの話だと、フィルム刷版では版ひとつに10分くらいかかっていたというから、大変なスピードアップだ。
(中央の写真)版になる前のアルミ板。綺麗な青色をしている。
(下の写真)機械の中でアルミ板にレーザーがあてられ、現像され、洗われ、乾燥され、コーティングされて出てくる。インクがのる部分だけに青が残っていて、他は白くなっている(こうしてつくられた青と白のアルミ版には面白い性質が備わっていて、それがオフセット印刷という技術を可能にしている。くわしい説明は後ほど)。カラー印刷は基本的にC(シアン)M(マゼンタ)Y(イエロー)K(ブラック)の四色のインクを1枚の紙にのせて行われる。この部屋でそれぞれの色の4つの版が作られ、それが印刷場に送られるという流れになっている。
1階の印刷所では、天井に大量に付けられたスプリンクラーのような装置から蒸気がでているのが目につく。芹澤さんに聞いたところこれは加湿器で、紙の安定性を図り、静電気を防止するために工場内の湿度を55パーセント程度に保つのが理想だという。静電気があると紙と紙がくっついてしまって印刷機に通すときに不都合が起こりやすいということらしい。冬は乾燥が激しいので、稼働しっぱなしとのこと。風邪も防止できるかもしれない。
(上の写真)この工場で一番古株の印刷機(平成10年購入)。左奥から紙が挿入され、それぞれCMYK(インクがのる順番はK→C→M→Yらしい)のインクが入った4つのユニットを通ってインクがのり、一番右からカラーで印刷された紙がでてくる。
(下の写真)この印刷機の裏の部屋には、CMYKそれぞれのインクが入ったドラム缶が格納されていた。本の制作現場でインクを見るのはすこし不思議な感覚だ。当たり前かもしれないけど、本も「モノ」なのだということを突きつけられる。ふだん本を読むとき、僕は文字としての「情報」しか受け取っていない。それは紙の上にインクをのせたモノなのだということを忘れている。マルティン・ハイデガーは、芸術作品と道具を比べて論じるときにゴッホが描いた農夫の靴の絵を参照しながら「道具は、それを使っている時に”道具を使っている”ということを意識させないものほど、道具として優れている」みたいなことを言っていた(「そして芸術作品は、その道具が道具として存在していることを輝かせる」とも)けど、まさに僕は本を読む時、あまりにそれが文字を読ませる道具として優れているものだから、それがインクと紙であることを忘れている(歩道橋を歩きながらすぐ足元に信号機が付いているのを見て「信号機ってこんなに大きいのか」と感じるのも、これと同じ現象だ)。
本に書かれている中身(文字)が重要なのは間違いないけど、それをスムーズに受け取ることができているのは、彼らがその印刷をとても高い(インクの存在を忘れさせるほどの)レベルで実現してくれているからだ。
2019.03.08
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