今月の新刊エッセイ|松瀬七織さん『王さまになった羊飼い』
今月の新刊エッセイは、絵本『王さまになった羊飼い』の再話を手がけた松瀬七織さん。中国の民間伝承を研究している松瀬さんが、豊富な知識をもとに、各国の昔話を比較しながら語ってくださいました。読み応えたっぷりのエッセイを、絵本とともにお楽しみください。
羊飼いはどのようにして 王さまになったのか?
松瀬七織
ここに紹介する『王さまになった羊飼い』はチベット族の昔話です。
中国では、人口の圧倒的多数を占める漢族を除いた55の民族を少数民族といい、チベット族もその一つです。ヒマラヤ山脈と崑崙(こんろん)山脈にはさまれたチベット高原とそのすぐ東側、行政単位でいえばチベット自治区と青海省、四川省などの地域に、合わせて540万人余りが、主に牧畜業と農業を営んで暮らしています。大乗仏教(だいじょうぶっきょう)の一派であるチベット仏教、俗称ラマ教が人々の生活に深く根を下ろしていて、五体投地(ごたいとうち)をしながら巡礼し、活仏(かつぶつ)を拝む人は少なくありません。
さて、昔話ですが、中国は宝庫と呼べるほど豊富です。言語がみな異なる少数民族の昔話も多彩で、多くが標準中国語に訳されて出版されているため、わたしたち外国人も知ることができます。なかでも、チベット族の昔話は多様性に富み、日本やインドなど他の国の話ともよく似たものがいくつもあることは、研究者たちの指摘するところです。一つだけ例を挙げましょう。
チベット族の昔話に、唐(とう)の太宗(たいそう)の娘文成公主(ぶんせいこうしゅ)がチベット王に嫁いだ話があります。〔賢く美しい文成公主との結婚を望む者は多く、チベット王も有能な臣下を使者にたてて求婚した。娘を遠くにやりたくない皇帝は求婚者たちに難題を出した。①五百頭の母馬と五百頭の子馬のすべてについて実の母子を見分けよ②緑の玉の曲がりくねった穴に糸を通せ(答え:穴の一方の口に蜜を塗り、糸を結び付けた蟻をもう一方の口から入れる)③つるつるに削った木の根元と先をあてて訳を説明せよ(答え:川に入れれば、先は軽いので前に、根本は重いので後ろになって流れる)④三百人の女の中から皇帝の娘を捜し出せ。チベットの使者だけがどの難題にも正解し、皇帝に文成公主とチベット王の結婚を認めさせた。文成公主は使者の求めに応じ、嫁入り衣装に代えて、五穀の種、鋤(すき)や鍬(くわ)、腕のいい職人たちを父の皇帝からもらい、チベット王に嫁いだ。〕(「蔵王的求婚使者」:『中国民間故事選』人民文学出版社1958)
一方、枕草子には、蟻通(ありどお)し明神(みょうじん)の名の由来が語られています。〔昔、人が40歳を超えると殺していた帝がいた。孝行者の中将は自宅の地下を掘って部屋を作り、70歳になる両親をかくまった。唐土(もろこし)の帝が日本を併合しようとたくらみ、難題をふっかけてきた。①つるつるに削った木の根元と先をあてよ②同じ大きさの蛇2匹の雌雄を見分けよ③七曲りの玉の穴に糸を通せ。中将は難題が出されるたびに親に尋ねて答えを教わり、唐土に回答して、日本併合をあきらめさせた。中将は褒美に家で両親を養うことを許された。その人が蟻通し明神となったのだろうか。〕(岩瀬文庫蔵 柳原紀光筆本244段)
昔話の型からいえば、チベットの話は難題婿(なんだいむこ)、枕草子の話は姥捨(うばす)て山で、両者は異なります。とはいえ、難題のうち二つまでがそっくり同じですし、経験知の大切さを暗に説いているのも同じです。両者の間に何らかの関係があってもおかしくないように思えるのですが、どうでしょうか。
閑話休題、『王さまになった羊飼い』の話はこうです。〔(地主に隷属(れいぞく)する)羊飼いの男の子が、兎(うさぎ)に変えられていた神さまを救い、お礼に動物の言葉がわかる能力を授かった。子に語る母羊の言葉から、母羊が屠殺(とさつ)されると知った男の子は、母子の羊を逃がし、自分も逃げた。ある国で、男の子は、王の使いが乗る母馬とその後を追う子馬の会話を聞いて、母馬が鞍(くら)に残っていた針に背中を刺されて痛がっていると知り、使いに知らせた。男の子の言葉が正しいと知った使いは、その能力に驚き、重病の王子が治せると思って、男の子を王さまの前に連れてゆき……〕
全部お話ししたいのはやまやまですが、やめておきます。羊飼いが結局どのようにして王さまになったのか。答えは絵本を読んでのお楽しみということにしましょう。そして、ここでも、先に述べた経験知がものを言っているのがわかるでしょう。
絵のイ ヨンギョンさんは、この絵本のためにチベット旅行を敢行され、ご自分の目で実際にご覧になって描いてくださったのです。美しいうえに、たっぷり物語っている、温かみのある絵で素晴らしい絵本にしてくださったイさんに感謝します。
なお、この『王さまになった羊飼い』は「懂禽言獣語的牧童」(『蔵族民間故事選』上海文芸出版社1980)をもとに再話しました。この昔話の類話資料をお知らせくださった、比較民俗学会の斧原孝守さんにお礼申し上げます。
松瀬七織(まつせ・ななお)
中国文学専攻。中国の民間伝承を研究するかたわら、自宅で子どもたちのための家庭文庫を開いている。
訳書に『金のがちょうのほん』(共訳)、『砂漠の物語』(以上、福音館書店)、『子どもに語る中国の昔話』(こぐま社)などがある。
2018.03.01