『カニのダンス』に紹介された小網代の森
岸由二(NPO法人小網代野外活動調整会議代表理事・慶應義塾大学名誉教授)
初夏の真昼。小学生たちを案内して海辺におりる。「えっ、ここが、カニたちの求愛ダンスの会場なの~」
神奈川県三浦半島の先端に、相模湾にむかって刻まれる70ha規模の谷があります。浦の川という小川の流域が、源流の森から湿原そして干潟までまるごと保全され、「奇跡の谷」として全国に知られる神奈川県の特別保全地区、「小網代の森」。
森は散策路以外立ち入り禁止。でも海辺の道をどん詰まりまで行くと、ここは特別。散策者も海辺に降りられる。足元はイギリス海岸と呼ばれる広い岩場。眼前の左側は延々続くアシ原。その湿原と足元の岩場にはさまれた小さな泥地が、数百匹のカニたちのダンスの会場になっている。
踊っているのは、チゴガニという1㎝前後の小さなカニの雄たち。真っ白な2つのツメをリズミカルに、同時に上下して、休憩もせず、潮の引いている昼間のあいだ踊り続ける。凝視すれば、ダンスのカニのわきに必ず小さな巣穴があることがわかる。
「あれー、小さな茶色いカニやってきました~、オスがダンスをやめてツメをまっすぐあげましたあ~。茶色いカニ、オスの巣穴に入りましたあ」、「ダンスが気に入ってメスがオスの巣にはいったんだ」。熱中する子どもたちはせり出してくる。「だめ、ここまで」。ダンス会場をまもるために地元のNPOがロープ柵を設けているから、「そこまで」。前方に目をやると、ダンスは5m、10m、いやもっと先まで続いている。福音館発行の『カニのダンス』の風景イラストは、実はこの小さなダンスの会場と、小網代干潟の美しい全景を参考に、描かれている。折り込みの解説で紹介されている市民団体は、NPO法人小網代野外活動調整会議(2005~)。小網代保全を提案し、企業、行政の合意を得て、2005年、谷の保全実現に貢献した市民団体が、いまNPO法人として行政と連携し、森、湿原、水系、干潟の日常的な保全管理作業を分担しているものだ。
半世紀前までこの谷は、水田と畑と雑木林の里山だった。1985年、全域をゴルフ場とする計画が登場。しかし小網代流域の健全が自然の保護・活用や漁業におよぼす重大な貢献が企業、行政に深く理解され、2005年、国土交通省の近郊緑地保全地域、2011年には同・特別保全地区となって、陸域だけでなく干潟周辺の岩場、湿原、干潟を囲む2つの岬の斜面もふくめ保全されてきた。
2011年の特別保護地区確定をうけて本格的な保全作業が始まった小網代の森は、農業終焉から半世紀、谷底全域が4~5mの笹に覆われる荒れ地に変貌していた。NPO調整会議は県の要請を受けて、全域を伐採。水系を再生し全域を現在のような生物多様性豊かな湿原生態系に創り変えた。森と、創出された湿原生態系と干潟の生物多様性は、希少種を含め、恐らく3~4000種の規模に達するはず。しかし、小網代保全の作業は、実は極限的な危機から始まった。
2005年の近郊緑地保全地域指定時、初夏の干潟は2ha前後の広がり一面が、チゴガニ、コメツキガニ、オサガニ、ヤマトオサガニたちの求愛ダンスの会場。まきちらされたガラス球が夏の日差しを乱反射するかのような絶景を繰り広げていた。しかし特別保全地区となり、行政・NPOの本格的な保全管理作業が始まった時点の干潟は無残な世界に変貌していた。2011年3月の東日本大震災の折、相模湾をおそった津波で、干潟は最大1mほどもえぐられ、あれほどの賑わいをみせたカニたちは、全滅に近い状態になっていたのだ。それから10年。干潟のかく乱を阻止し、カニたちの繁殖場を保護するNPOの仕事が続いている。
『カニのダンス』に紹介されている干潟は、いま、ようやく回復の兆しのある、小網代のチゴガニたちのダンスの会場なのである。
小網代の谷の日常的な保全は、県とパートナー型の連携契約をむすぶNPO法人小網代野外活動調整会議が自主的な資金調達を基本として進めている。ボランティアではなく、法人が実行する仕事の方式。大企業、財団、訪問者たちからの助成金、寄付金、ガイド収入などが頼りの仕事だ。
小網代の森入口は、京浜急行三崎口駅から南に徒歩20分。バスなら2区間5分。引橋下車で入口案内がある。その地点の大型食品スーパーBeisia2Fは、三浦市の市民交流センター。エントランス付近に三浦市の小網代インフォメーションスペースが開設されているので、まずはこちらを訪問していただき、小網代の自然の全容、保全の歴史、保全努力の現状など、総合的な情報を入手していただくのがいい。NPO法人の保全活動を支援していただくための、物販コーナー、寄付コーナーも用意されている。
『カニのダンス』で小網代を知り、ファンになっていただける皆様の、多様な支援をお待ちしております。
初夏の真昼。小学生たちを案内して海辺におりる。「えっ、ここが、カニたちの求愛ダンスの会場なの~」
神奈川県三浦半島の先端に、相模湾にむかって刻まれる70ha規模の谷があります。浦の川という小川の流域が、源流の森から湿原そして干潟までまるごと保全され、「奇跡の谷」として全国に知られる神奈川県の特別保全地区、「小網代の森」。
森は散策路以外立ち入り禁止。でも海辺の道をどん詰まりまで行くと、ここは特別。散策者も海辺に降りられる。足元はイギリス海岸と呼ばれる広い岩場。眼前の左側は延々続くアシ原。その湿原と足元の岩場にはさまれた小さな泥地が、数百匹のカニたちのダンスの会場になっている。
踊っているのは、チゴガニという1㎝前後の小さなカニの雄たち。真っ白な2つのツメをリズミカルに、同時に上下して、休憩もせず、潮の引いている昼間のあいだ踊り続ける。凝視すれば、ダンスのカニのわきに必ず小さな巣穴があることがわかる。
「あれー、小さな茶色いカニやってきました~、オスがダンスをやめてツメをまっすぐあげましたあ~。茶色いカニ、オスの巣穴に入りましたあ」、「ダンスが気に入ってメスがオスの巣にはいったんだ」。熱中する子どもたちはせり出してくる。「だめ、ここまで」。ダンス会場をまもるために地元のNPOがロープ柵を設けているから、「そこまで」。前方に目をやると、ダンスは5m、10m、いやもっと先まで続いている。福音館発行の『カニのダンス』の風景イラストは、実はこの小さなダンスの会場と、小網代干潟の美しい全景を参考に、描かれている。折り込みの解説で紹介されている市民団体は、NPO法人小網代野外活動調整会議(2005~)。小網代保全を提案し、企業、行政の合意を得て、2005年、谷の保全実現に貢献した市民団体が、いまNPO法人として行政と連携し、森、湿原、水系、干潟の日常的な保全管理作業を分担しているものだ。
半世紀前までこの谷は、水田と畑と雑木林の里山だった。1985年、全域をゴルフ場とする計画が登場。しかし小網代流域の健全が自然の保護・活用や漁業におよぼす重大な貢献が企業、行政に深く理解され、2005年、国土交通省の近郊緑地保全地域、2011年には同・特別保全地区となって、陸域だけでなく干潟周辺の岩場、湿原、干潟を囲む2つの岬の斜面もふくめ保全されてきた。
2011年の特別保護地区確定をうけて本格的な保全作業が始まった小網代の森は、農業終焉から半世紀、谷底全域が4~5mの笹に覆われる荒れ地に変貌していた。NPO調整会議は県の要請を受けて、全域を伐採。水系を再生し全域を現在のような生物多様性豊かな湿原生態系に創り変えた。森と、創出された湿原生態系と干潟の生物多様性は、希少種を含め、恐らく3~4000種の規模に達するはず。しかし、小網代保全の作業は、実は極限的な危機から始まった。
2005年の近郊緑地保全地域指定時、初夏の干潟は2ha前後の広がり一面が、チゴガニ、コメツキガニ、オサガニ、ヤマトオサガニたちの求愛ダンスの会場。まきちらされたガラス球が夏の日差しを乱反射するかのような絶景を繰り広げていた。しかし特別保全地区となり、行政・NPOの本格的な保全管理作業が始まった時点の干潟は無残な世界に変貌していた。2011年3月の東日本大震災の折、相模湾をおそった津波で、干潟は最大1mほどもえぐられ、あれほどの賑わいをみせたカニたちは、全滅に近い状態になっていたのだ。それから10年。干潟のかく乱を阻止し、カニたちの繁殖場を保護するNPOの仕事が続いている。
『カニのダンス』に紹介されている干潟は、いま、ようやく回復の兆しのある、小網代のチゴガニたちのダンスの会場なのである。
小網代の谷の日常的な保全は、県とパートナー型の連携契約をむすぶNPO法人小網代野外活動調整会議が自主的な資金調達を基本として進めている。ボランティアではなく、法人が実行する仕事の方式。大企業、財団、訪問者たちからの助成金、寄付金、ガイド収入などが頼りの仕事だ。
小網代の森入口は、京浜急行三崎口駅から南に徒歩20分。バスなら2区間5分。引橋下車で入口案内がある。その地点の大型食品スーパーBeisia2Fは、三浦市の市民交流センター。エントランス付近に三浦市の小網代インフォメーションスペースが開設されているので、まずはこちらを訪問していただき、小網代の自然の全容、保全の歴史、保全努力の現状など、総合的な情報を入手していただくのがいい。NPO法人の保全活動を支援していただくための、物販コーナー、寄付コーナーも用意されている。
『カニのダンス』で小網代を知り、ファンになっていただける皆様の、多様な支援をお待ちしております。