さんまいのおふだ

新潟の昔話

こどものとも|1978年1月号

寺の小僧は山へ花を切りに出かけましたが、日が暮れて道に迷い、白髪のお婆の住む一軒家に泊めてもらいました。ところが夜中に目を覚ますとお婆は恐ろしい鬼婆になって小僧を食べようとしています。小僧は便所にいきたいといってその手を逃れ、便所の神様から3枚の札をもらって逃げだします。語り口調をいかした再話による、スリルとユーモアをかねそなえた昔話の絵本です。

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「三枚のお札」と私  水沢 謙一(昔話研究者)

 山深く雪多い越後が、ゆたかな昔話の宝庫であることを、歩いて知った。長いこと、昔話を追って村々を歩きつづけている。昔話は、冬の長い雪国の夜語りだった。かつて、昔話は農耕と結びついていた。農耕儀礼の予祝祭や収穫祭が冬におこなわれ、昔話ともかかわって、その信仰的機能をはたしてきた。昔話には、祭の夜に祈願や感謝をこめて、神に語り献じられた、もとあった姿を望むことができる。秋餅ムカシの正月バナシという、越後の古いタトエ(コトワザ)が、それを語っている。
 とりわけ驚くべきことは、一人で百話もそれ以上も昔話を語るゆたかな伝承者に、二十何人も出会ったことだ。すぐれた百話クラスの語り手である。たいていは、ひっそりとくらしている村のおばばたちだった。もちろん数十話クラスの語り手も数多くいた。おばばの昔話は、伝承に忠実で、きめのこまかい、古い語り口をもっていた。その持ち伝えた昔話は、たんに量が多いということばかりでなく、質的にもすぐれた話もあった。「見るな倉」「竜宮童子」「運定め」「ココウ次郎」「木魂嫁入り」「大木の秘密」「花の精」などの、分布のまれな日本的昔話。さらに「シンデレラ」「ワラとスミとマメ」「ブレーメンの音楽隊(馬と犬と猫とにわとりの旅)」「犬と猫と指輪」「夢のハチ」「三枚のお札」などの、世界的分布の昔話まで知っていた。遠く、山かげの山村で、おばばの語る昔話が、そういう世界性さえもっていることに感動し、その国外との伝播(でんぱ)の深いナゾにぶつかる。
***
昔話はおばばにかぎると、私などはその採集はおばば専門で、まったくおばばのおかげだった。女性が昔話の伝承と伝播にはたした役割の大きいことを、思わずにいられない。
 そういう語り手たちはいずれも、幼い子どもの日に祖母や母からきいた昔話を覚えているのが、伝承の本流だった。子どものときにしみこんだ話は、けっして忘れ去るものではなく、ときにいっとき忘れても、また思い出すと、おばばはいう。それに何といっても、おばばたちは子どものときに昔話が好きで、とくべつな興味と関心をもっていた。まんまのひとかたけ(ご飯の一食)くらい食わんでも、一晩くらい眠らんでも、昔話をききたかったほど、好きだった。それは身内の祖母や母の伝承者からの遺伝と感化によるものだった。人間何か好きでなければ本物でないことを語っている。
 子どもの日にきいた昔話は、楽しくきいているうちに、心のかてをいろいろ与えてくれるとともに、語り手と聞き手の、心の結びつき、ふれあいを深めていたのである。心のかけ橋となっていた。また、あとあとになっても、美しい思い出となって、一生消えることがない。この話は夜のいろりばたで、母から何度もきいた。赤いいろり火と母の顔、その情景まで思い出しては涙が出ると、おばばはいう。幼い日の青空を思い出して涙ぐむ。そういう姿に接して、私はハッとする。昔話の何かが、すこしはわかったような気もする。心のふるさとになっていて、清らかな泉を思わせる。いつか訪れてきたドイツの研究者から直接きいたことだが、ドイツのおかあさんも、グリムを子どもに語ってきかせるという。グリムはドイツの昔話だった。グリムにはドイツがあるからだと、ドイツのおかあさんはいう。グリムは、必ずしもドイツ固有の話ばかりではない。グリムに共通する昔話は、日本にもいくつもある。それから、グリムの語り手も、ほとんど女性だった。
***
 さて「三枚のお札」の話にうつろう。グリムの「水の魔女」も「三枚のお札」系統の昔話であって、魔法をかけて逃げる昔話(マジック・フライト)は、世界の各地にある。「三枚のお札」という昔話は、子どもが喜んできく昔話の一つである。
 お寺の小僧が(または村の子ども)山へ花折りにいく。山で日がくれて、あかりの見えた山うばの家にとめてもらう。山うばが人を食うおそろしい鬼ばさとわかり、便所へやらしてくれとたのんで逃げ出す。山うばに追いかけられて、三枚のお札をつぎつぎに投げ、山、川、火を出して逃げる。小僧はお寺へきて助かるが、結末はさまざまにわかれる。
 「三枚のお札」ばかり、およそ四百話くらい集めた。「三枚のお札」の昔話をほんとうに知るには、その類話を数多く集めて比較研究する必要がある。私の昔話の個別研究の一つである。
○集めた「三枚のお札」の話を、大きくわけると二つとなる。その多くは第一のタイプで、お札などを投げて、山、川、火などの障害物を出して逃げていくものである。第二のタイプは、お札を投げて自分が何かに変身して逃げる。このタイプはきわめて少なく、三話しかない。越後の三話が日本に見つかった、あるかぎりの話。その他にはグリムにもある。
○本話は、古事記のヨミノクニにある、クシの歯を投げる話がスタートである。ずいぶんと古くからの話であることがわかる。
○登場人物のお寺和(お)尚(しょう)さんは、ある時期における本話の語り手だったことを示す。
○話の主人公がお寺の小僧であるよりも、村の子どもの方が古い。
○投げるのは、クシ、カガミ、タマ、お札で、お札を投げるのが、もっとも新しく、もっとも多い。手ぬぐいなどの布きれもある。
○山うばは、かつて神に仕えた巫女(みこ)だった。山うばが登場する昔話は、ほかにも「サバ売り」「天道さまかねのくさり」、シンデレラ型にも登場する。「サバ売り」では、山うばが餅を焼くにも、甘酒をわかすにも、からとにはいっていねるときも、いちいち火の神にうかがいを立てて、お告げをきいていることでも、巫女だったことがわかる。
○小僧が山へ花折りにいくことは、その背景に、かつて山イサン(山遊山)という行事のあったことを秘めている。春の山イサンは、村人が酒やべんとうを持って、春の山遊山にいき、かえりに花をつんでくる。花にやどる田の神むかえだった。今夏、小僧が山へ花とりにいって、山うばに追いかけられ、花を投げて山、川、火を出して逃げる話を採集した。
○山うばが鬼ばさに変化したのは、あとあとの変化によるものであろう。そういう山うばの恐怖と神秘、投げるお札のふしぎと幻想、「小僧、小僧、いいか」「まだ、まあだ、ピーピーのさかり」などのユーモアと笑い、花とりの詩情と古俗、そういう日本人の心のふるさとが、子どもの心をとらえる。便所神が登場するのも注目しなければならない。これは日本だけである。
○昔話は、口で語って耳で聞く語りで、文字なき世界の口承の物語である。語りは、独自な語り調子と、ペランペランなどの擬態語と、忘れがたい印象的な言葉で語られ、長い間に洗練され、簡潔なのが、よい語りである。

基本情報

カテゴリ
月刊誌
ページ数
32ページ
サイズ
26×19cm
初版年月日
1978年01月01日
シリーズ
こどものとも
ISBN
テーマ

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