子どもと絵本をめぐって

第1回 「ちゅうちゅう しゅっしゅっ」

学生時代、松岡享子さんが主宰する、松の実文庫という小さな図書室の手伝いをすることになり、私はそれまで見たことのないたくさんの絵本に出会った。図書室といっても、松岡さんの自宅の一室で、そこでは、子どもたちに本を読んでやるのが大切な仕事だった。幼い子はもちろん小学生も「読んで」「読んで」と絵本やお話の本を持ってそばにやってきた。子どもって、こんなに本を読んでもらうのが好きなんだと、びっくりしたことを覚えている。

文庫では、いつも誰か大人が声に出して読んでやっていて、子どもたちが調子のよいことばの響きやリズミカルな文によく反応し、笑ったり、身体をゆらしたりして、心地よさそうに聞いているのが、日常の風景だった。

あるとき、一人の男の子が『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』を「読んで」と持ってきた。大型の絵本で、中を見ると木炭画のような絵で、迫力はあるけれど、「子どもに黒だけの絵ってどうなの? 話も長そうだし」と、私は半信半疑で読みはじめた。

ちゅうちゅうは、真っ黒のかわいい機関車で、「ぴいいいいいー」と鳴る汽笛、「かんかん!」と鳴る鐘、「すうすすす しゅう しゅっしゅ!!!」というブレーキがついている。いつも重い客車や貨車を引っ張って働いていたが、あるとき、自分だけで走ったらどんなに速く、軽く走れるだろうと思い、機関士のすきをついて逃げ出してしまう。

「ちゅうちゅう しゅっしゅっ! ちゅうちゅう しゅっしゅっ!」とスピードを上げ、信号も踏切も無視して、ちゅうちゅうは走っていく。

ふと見ると、そばで聞いている男の子も一緒に走っているのか、少し息が荒くなっている。その後、ちゅうちゅうにはとんでもないことがおこり……という大冒険のお話なのだが、読み終わって気づいたら、3、4人の子がうしろからのぞきこんで聞いていた。上がった跳ね橋を飛び越す場面で「あーっ」と声を上げたのは、その中の誰かだったらしい。

はじめ黒一色なんて、と思っていた絵は、スピードと臨場感にあふれて、本から飛び出してくるようだ。お話も耳で聞くと、いくつもの擬音が耳に響いて、面白さがずっとよくわかる。「なるほど、子どもが喜んで聞くわけだ。読んでいても気持ちがいい」と、読み聞かせの楽しさを知った絵本だった。

のちに大学で教えるようになったとき、学生たちから記憶に残る絵本の話をいくつも聞いたが、やはり「うんとこしょ どっこいしょ」(『おおきなかぶ』)、「ミシン カタカタ ミシン カタカタ」(『わたしのワンピース』)など、リズミカルなことばが耳に残っているという人が多かった。中に『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』が好きだったという人がいて「いつもは母に読んでもらっていたが、一人のときは字が読めないので、絵本を広げて『ちゅうちゅう しゅっしゅっ』と言いながら、読んでいる気分にひたっていた」と聞き、ああ、それも立派な読書だと、深くうなずいてしまった。



紹介した本 
いたずらきかんしゃちゅうちゅう』バージニア・リー・バートン 文・絵/むらおか はなこ 訳、『おおきなかぶ』ロシアの昔話 A.トルストイ 再話/内田莉莎子 訳/佐藤忠良 画(ともに福音館書店)、『わたしのワンピース』にしまきかやこ 作(こぐま社)

山口雅子(やまぐち まさこ)
1946年神奈川県生まれ。上智大学外国語学部卒業。松岡享子主宰の家庭文庫で子どもの本にかかわる。東京子ども図書館設立と同時に、職員として参加。退職後は、子どもと本の橋渡し役として、絵本や語りの講座で講師を務める。著書に『絵本の記憶、子どもの気持ち』(福音館書店)がある

2025.03.03

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