特別エッセイ|ちばかおりさん『若草物語』が生まれる前のお話
新しい映画「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」が公開され話題となっていますが、皆さんは原作の『若草物語』(原題:Little Women)を読んだことがありますか? 日本では、1900年代初頭から各社さまざまな本が出版されていますが、1985年に刊行した福音館書店の『若草物語』は、矢川澄子の瑞々しい日本語とターシャ・チューダーの挿絵で、物語が生まれた時代の雰囲気を忠実に伝えています。
この度、映画公開を記念して、物語の舞台を度々訪れている海外児童文学研究家のちばかおりさんに、作者ルイザ・メイ・オールコットが作品を生み出した背景について、写真とともにご紹介いただきます。
『若草物語』が生まれる前のお話
ちばかおり
メグ、ジョー、ベス、エイミーという個性あふれる姉妹たちの物語『若草物語』が書かれたのは、今から150年程前のことです。まだ女の人がすその長いドレスを着て、人々が馬車に乗っていた時代ですが、きょうだいげんかや、学校の規則の悩み、おしゃれ、将来の夢など、家族で助け合いながら、ささいなことで悩んだり、泣いたり笑ったりする彼女たちの姿は、現在の私たちと変わりません。
『若草物語』はこれまでにも何度も映画やアニメになりました。世界名作劇場シリーズの『愛の若草物語』を見てファンになった方も多いのではないでしょうか? 私は、この物語が世代を超えて愛される理由を求めて、物語の舞台であり、原作者ルイザ・メイ・オールコットが暮らしていたアメリカ東部にあるボストン近郊のコンコードを訪ねました。この緑豊かな小さな町には、当時ヘンリー・ソローやラルフ・エマーソンといった思想家のほか、多くの文化人が集まっていました。知的な空気の中で、ルイザは幼い頃から彼らと身内のように親しく接していたのです。
自身、四姉妹だったルイザは『若草物語』の中で、自分の子どもの頃や家族のこと、実際にあった出来事を、思い入れたっぷりに描きました。おてんばでそそっかしくて元気いっぱい、夢は小説家という次女ジョーこそ、作者であるルイザ自身です。おしゃれでおっとりしたメグは長女アンナ、心優しくいつも静かでピアノが上手なベスは、三女で同じ名前のベス。絵が得意でおませな末っ子エイミーは、四女のアビゲイル・メイがモデルです。
物語の中でジョーたちは貧乏が辛いとこぼしますが、実際のオールコット家はもっと生活が苦しく、ルイザが大人になるまで、家にはいつも余分のお金があったためしがありませんでした。物語の中の四姉妹のお父さんは従軍牧師ですが、ルイザたちの父ブロンソンは教育者で、子ども一人一人の個性を大事にするという、当時としては大変進んだ考え方の持ち主でした。自分で学校を作り生徒を集めて教えていましたが、黒人の子どもを入学させたことで学校が閉鎖に追い込まれてしまったこともありました。その頃のアメリカでは、黒人は白人と一緒に学校に通うことができなかったのです。
ルイザが10歳の時、父ブロンソンは理想の暮らしを求めて、フルートランズ(果実の里)と名づけた場所で仲間と自給自足を目指し共同生活を始めました。しかし幼いルイザたちは絶えず息苦しい規則と飢えに苦しみながら暮らしました。慣れない農業でうまく作物が採れなかったため、冬が来た頃には共同生活は解散となりました。
ルイザが13歳の頃になると、一家は再びコンコードに戻り、親族や友人に支援を得てヒルサイドと呼ばれる家に住むことになりました。「ようやく自分一人だけの部屋をもらえてとても幸せ」と日記に記しています。
ブロンソンは多くの人から尊敬された立派な人物でしたが、お金を稼ぐことと、家族をきちんと養うことには無頓着だったようです。そんな父に代わって、ルイザはその一生をオールコット家の柱となって生きました。ルイザは、10代後半から家庭教師やメイド、裁縫の仕事をして家族の生活を支えました。この時代の女の人が就くことのできた職業は限られていて、今のように自分で自由に職業を選ぶことはできなかったのです。
家族思いのルイザにとって、その頃もっとも心を痛めていたのはベスの病気でした。一家はどんどん弱っていくベスのために、安心して長く住めるわが家をとコンコードに古家を買ったのですが、悲しいことに修理が間に合わず、1858年、ベスは天国へ旅立ってしまいました。
ルイザは物語のジョーのように男勝りで正義感の強い女性でした。南北戦争(1861〜65)が始まるとじっとしていられず、看護師として戦場に赴きました。南北戦争は、アメリカの国が二つに分かれて争った戦争です。工業が発展した北部の州と農業で貿易をしてきた南部の州が、これからの国のあり方を巡って対立したのです。その時の大統領エイブラハム・リンカーンは、南部の州が黒人を奴隷にしていることを非難し、奴隷解放を宣言しました。ルイザもその考えに賛成でした。ルイザの父が黒人も平等に教育を受けられるように考えたことを誇りに思っていたのです。
戦地で病気に罹り九死に一生を得たルイザが、戦争で体験したことを文章にして発表すると、大変な評判になりました。これまでも家計の足しになればと、売れそうな大人向けのスリラー小説や恋愛物語を書いて原稿料を得ていたルイザでしたが、これを機にいよいよ本格的に小説家への道を歩み出します。
そして、ある出版社から子ども向けの物語を書いてほしいと注文がきます。最初は「普通の女の子が何を好きなのか分からない」と自信が無かったルイザでしたが、懐かしい自分の子ども時代のことや家族のことならいくらでも書ける気がしました。こうして生まれたのが『若草物語』です。1868年、ルイザ35歳のことでした。
この『若草物語』は出版と同時に大ヒットし、“家族の生活を楽にしたい”というルイザの願いがついに叶いました。それまで子ども向けの読み物といえば、宗教的なものや道徳的な物語しかなかった当時、ごく普通のきょうだいの、誰にも覚えがあるような身近な出来事を描いた『若草物語』は、発表されるやいなや、子どもたちに熱狂的に受け入れられたのです。
なによりルイザの分身である愛すべきジョーは、この物語の最大の魅力です。ルイザは物語の中でジョーにどんな夢を見せたのでしょうか。皆さんもどうぞ読んで確かめてみてください。
現在オーチャードハウス(マサチューセッツ州コンコード)は博物館として公開されています。ルイザたちが使っていた家具もそのまま展示されていて、部屋の壁にエイミーのモデルになった末っ子メイの描いた絵が残されています。
●プロフィール ちばかおり
児童書を中心に編集、企画に携わる傍ら、『ハイジ』『大草原の小さな家』などの海外児童文学の映像化についての研究、実地調査を重ねている。主な著作『図説アルプスの少女ハイジ』(河出書房新社)、『ハイジが生まれた日』(岩波書店)、『アルプスの少女ハイジの世界』『ラスカルにあいたい』(求龍堂)ほか。
福音館書店の『若草物語』(矢川澄子 訳 ターシャ・チューダー 画)は、古典童話シリーズのハードカバーと文庫版がございます。
2020.06.16