今月の新刊エッセイ|佐藤雅彦さん『このあいだに なにがあった?』
5月の新刊『このあいだに なにがあった?』の作者・佐藤雅彦さんは、東京藝術大学大学院で教鞭をとりながら、クリエーティブグループのユーフラテスとともに書籍や映像作品などの様々な表現を生み出しています。『中を そうぞうしてみよ』に続いて、「分かる」という事をテーマに作られた新刊に寄せた、知的好奇心を刺激するエッセイです。
生きるための練習問題
佐藤雅彦
まずは、次のふたつの文字のグループをじっと見てください。左にある文字のグループに何かが起こり、右の文字のグループになりました。一体、何が起こったのでしょうか。
そうです、右上隅に「黒」が入り、その結果、両端を「黒」で挟まれた「白」が次々とひっくり返って「黒」になったのです。白と黒という二文字だけで構成されているさまや、その並び方、さらには絵柄の変化などから、これは私たちが子供の時から慣れ親しんでいるオセロゲームを模したものだということが「分かる」わけです。
実は、人間は、妙な違いを示すふたつの事象に少なからぬ関心を寄せます。そして、そのふたつの事象の差分から何かを「分かろう」と、かなりの集中力を持って、その謎に挑みます。みなさんも、冒頭のオセロの問題に対して、ほんの短い時間ではあったとは思いますが、日常の些事をすっかり忘れて、その謎めいた差の意味を解き明かすことに没入したのではないでしょうか。そして、この正体不明なものに、自分がオセロゲームという枠組(パラダイム)を与えることができた時に、小さな悦びを覚えたのではないでしょうか。
差を取って何かを「分かる」ことは、必ずしも悦びだけを生むとは限りません。時として、それは心配や危惧や希望なども生み出します。
例えば、友人が電話を受けた後と前とで、すっかり表情が変わった時、ある重大なことが、その友人に起こったことが分かります。例えば、朝、旦那さんが出かける時に着せてあげた背広を、夜、洋服ダンスに戻すとき、そのポケットに見知らぬ薬のカラが入っていたら、何か言い出せないような変調が旦那さんに起こっていることが分かります。例えば、まだ寒い冬の通学途中で、昨日まで見かけなかった梅の蕾を見つけた時、春の訪れを予感します。これで分かることは、差を取って「分かる」ということは、とても人間的なふるまいであるということです。
私と慶応大学・佐藤研の卒業生からなるクリエーティブグループであるユーフラテスは、この「分かる」ということをテーマに研究を重ね、その成果物としていろいろな表現を作っています。『このあいだに なにがあった?』も、私とユーフラテスは、読者に新しい分かり方を提供し、それによって生まれる人間的な悦びを感じてもらいたいと考え、作ったものです。
私たちは無意識に絶えず変化をチェックして生きています。その殆どは空振りに終わりますが、この空振りこそが平穏さに相違ありません。平穏さを破るような差分が取れた時、私たちは、その背景にある真実を見抜き、次の行動を速やかに取らなくてはなりません。顔色が変わった友人や、隠れて薬を飲んでいるご主人に対して、差を取ることで、私たちは次の行動に出るきっかけを自ら知り得たのです。
『このあいだに なにがあった?』は、生きるための練習問題なのです。しかも、それは悦びを伴う練習問題です。お子さんと一緒に生きるトレーニングをお楽しみいただけたら、幸いです。
佐藤雅彦(さとう・まさひこ)
1954年静岡県生まれ。東京大学教育学部卒業後、電通を経て、94年に企画事務所TOPICSを設立する。99年より慶應義塾大学環境情報学部教授、06年より東京藝術大学大学院映像研究科教授。NHK・Eテレ「ピタゴラスイッチ」「0655」「2355」「考えるカラス」などの企画・監修を担当。著書に『経済ってそういうことだったのか会議』(日本経済新聞出版社)、『プチ哲学』『毎月新聞』(ともに中央公論新社)、『勝手に広告』(マガジンハウス)、『砂浜』(紀伊国屋書店)、『考えの整頓』(暮しの手帖社)など多数。
2017.05.31