【第5回】中川李枝子さん・山脇百合子さん|(3)書くこと・描くこと
少女漫画のまねから
長谷川 『子どもと文学』を読むと、プロットとか文章とか、こういうものであるべきだと、石井桃子さんなんかが書いてらっしゃるんですが、中川さんの『いやいやえん』、これは、本当に新しい子どものための本として、そういう要求にピタッとしたものが出てきたと、みんなが思ったのではないかしら。お母さまが、『子どもと文学』と同じ批判を、従来の日本の児童文学について、すでにやってらしたという話を聞いて、そういう批判的な感覚を中川さんは自分自身の中ですでに育てていらっしゃって、それでああいう全く新しいものをお書きになれたのかな、とも思えるんですが。
中川 全然そういうことを意識しないの。自分の前に子どもがすでにいますからね、その子どもたちを楽しませたいという気持ちで書いたんですよ。楽しませなかったらあしただれも保育園に来ないという、もう切羽詰まった情況に常に私はいるわけね。絵本を一冊選ぶんでも、子どもたちみんなが楽しむものを与えないとだめなんです。私が勤めたときに園長さんに言われたのは、毎日みんなが喜んで来る保育をしてくださいね、ということなんです。そうしますと、絵本でもお話でも、いい加減なものは子どもに与えられないの。
長谷川 『いやいやえん』は、保育園の子どもたちにしてやった話を文章に?
中川 「山のぼり」は、子どもが自由画帳に絵を描いて、そこから発想を得たんです。「くじらとり」というのは、子どもたちと一緒にお話作りやったの。
長谷川 「くじらとり」を読んだときに、あれ、現実の遊びからファンタジーの世界に入っていくのが、ファンタジーという感じじゃないんですよね。もうリアルそのもので。子どもが遊びにのめり込んでいくときのあの勢いが、そのまま文章になってて、本当に驚きました。
中川 あれはほんとに子どものほうからできてきたお話ね。「くじらとり」はいつもやっていた遊びのひとつでした。
長谷川 『いやいやえん』を読んだときに、言葉が子どもの体や生理と一体になってるような感じがしたんです。それはまねができないというか、どうしてああいう文章を自分の中でずっと保ち続けられるかと思って。例えば私なんかだと、わが子が大きくなるにつれ、私のほうが幼い子の感覚とか感じ方なんか忘れないかしらと思って、不安になっちゃうんですけれど。
中川 私、ちっとも意識してないのよ。ただ、子どもと一生懸命生活した15年間に蓄えられたんじゃないかしら。
長谷川 もしかしたら、今でも日常生活の中で、子どもが使うような言葉が、物を見たときにパッと出てきたりするんですか。
中川 そんなことはないわね。私は何しろ立派な大人になりたいと思って、少年文庫を読んでいましたから。子どもにはもう二度となりたくない、ひたすら上を向いて今日まできてるのよ。子どもたちも一日も早く大人になりたいと、毎日一生懸命生活してるんだなと思っている。それが子どもの本来の姿なんじゃないかしら。
長谷川 何かできたときの輝かしい顔というか。
中川 そう。それがあるから子どもはいいんだと思うのね。子どもは面白い。かわいいなんて言うと甘ったるくなるから、あえて。面白いんです。
長谷川 いつか「こどものとも」の折り込みに書いてらした、中川さんと子どもたちのやりとり、それから中川さんの感懐がとても印象的だったんです。道々ケンカして帰る子に、「昨日ケンカしてたでしょう。保育園の窓からちゃんと見えました」と中川さんがからかうと、「先生のことだって見えてました」と子どもがやり返す。中川さんはすかさず、「今日も見てますからね。もしケンカしたら、捕まえにいくから」と切り返しながら、自分が森の一軒家に住む赤い目の鬼ババになったような気分だった、と書いてらっしゃる。これは普通の大人の気分ではないと思うんです。中川さんが子どもたちと日常の現場で張りのある会話をしながら、そのまま物語の世界にすっと入っていらっしゃる。この辺りが創作の原動力かしら、と思ったりしたんですけど。
中川 どうなのかしらね。自分じゃ全然分からない。
長谷川 また、山脇さんの絵も、男の子とキツネが向かい合ってても、実に自然に見えちゃうんですよね。
中川 私はこの人、すごく読む力があると思うのね。センスというのか。
長谷川 『ぐりとぐら』なんかでも、実際にネズミを見てらしたとか……。
山脇 博物館へ、薮内さんが連れてってくれたの。ほんと困っちゃったので。あれ、でも、もしかしたら少しおまじないみたいでね、見てきたんだから、これはほんとだぞという。もし誰かが、こんなネズミ変じゃないの、と言ったら、でも、こういうのがいたって言うためにね。(笑)
長谷川 現実のものを写して、ごまかさないで描くという誠実さは子どもにピンとくるんですよね。そういう真面目さの上に、ファンタジーともちょっと違うあの世界、何て言ったらいいのかしら。
中川 特殊技能ね。でも、考えないでスッスッと描いちゃうんでしょう?
山脇 そう。
長谷川 でも、ネズミを立たせて服着せるの、難しいですよね。
山脇 そのほうがやさしいわよ。ネズミ、見たとおりに描いたら難しいけど。小さい声で言ったりして。でも、あの話は、あんな面白いの、よく思いついたわね。
中川 『ぐりとぐら』? 必死になって考えるのよ。
長谷川 “ぐりとぐら”という名前なんかは……。
中川 あ、これはフランス語。フランスの絵本からとったんです。野ネズミが歌をうたうところがあるんです、グリグルグラという擬音のね。それを私、紙芝居にしたんですよ。そしたらそこの場面、すごく子どもが喜ぶの。グリグルグラを待ってるわけ。それで、“ぐりとぐら”にした。
長谷川 ほんとに名前って重要なんですよね、子どもには。
中川 ええ。子どもの場合、使える言葉がほんとに限られてますでしょう。ですから一番性能のいい使い方をしなきゃだめなんです。名前にしても。
長谷川 お話を作るときに、福島での生活もずいぶん……。
中川 知らず知らずのうちに、それは影響してるでしょうね。確かにあれは情操教育になっていたと、この年になって、やっと納得がいった。あれで私が20歳で死んでいたら、ずいぶん不幸だったわよ。(笑)
山脇 損しただけでね。親にこき使われて。
長谷川 ご両親はご健在でいらっしゃる?
中川 ええ。
長谷川 いいですね。お会いしたい。
※()がない作品はすべて福音館書店より刊行。
※対談の記録は、掲載当時のものをそのまま再録しています。
中川李枝子(なかがわりえこ)1935年〜
札幌生まれ。保育園に勤務のかたわら創作を始め、1962年に出版された童話『いやいやえん』が、厚生大臣賞、サンケイ児童出版文化賞などを受賞した。『かえるのエルタ』や『ももいろのきりん』などの童話の他、『ぐりとぐら』や『そらいろのたね』などの絵本も多く手掛ける。
山脇百合子(やまわきゆりこ)1941年〜
東京生まれ。上智大学卒業。絵本『ぐりとぐら』や『そらいろのたね』、童話『いやいやえん』『かえるのエルタ』の挿絵など、実姉中川李枝子さんとのコンビを組んだ作品を多数手掛ける一方で、自作のお話に絵をつけた『ゆうこのキャベツぼうし』、翻訳と挿絵を担当した『きつねのルナール』などの作品もある。
インタビューを終えて-長谷川摂子
どうしてこんなに自由自在に子どもの世界を泳ぎ回れるのだろう、どうしてこんなに純粋な子どもの文学が可能なのだろう、と『いやいやえん』を読むたびに思いました。でも、中川さんのお話を聞いているうちにその謎は陽にあたった氷のように解け始めました。中川さんの身に備わった向日性のヒューマニズムは、実に堂々としていて眩しいほどだったのです。このお姉さんの傍らでにこにこしながら、臨機応変、ワサビきいた相の手を入れる山脇さんが魅力的だったこと。知性にも自然にも恵まれたお二人の生い立ちもさることながら、姉妹の自然な息遣いの中で生まれたお二人の作品の奇跡的な幸福を思わないではいられません。
◯長谷川摂子さんが対談した絵本作家たち
【第1回】筒井頼子さん
【第2回】堀内誠一さん
【第3回】片山 健さん
【第4回】林 明子さん
【第5回】中川李枝子さん・山脇百合子さん
【第6回】スズキコージさん
【第7回】岸田衿子さん
【第8回】いまきみちさん・西村繁男さん
【第9回】長 新太さん
【第10回】松岡享子さん
【第11回】佐々木マキさん
【第12回】瀬川康男さん
2017.04.05