【第6回】スズキコージさん|(1)”大千世界”の人びとと
1986年4月から3年にわたって「こどものとも折り込み付録」にて連載された、故・長谷川摂子さんと14名の絵本作家の対話の記録を、再録してお届けします。第6回は、『エンソくん きしゃにのる』『ガラスめだまときんのつののヤギ』などを手がけたスズキコージさんです。
外が画用紙
長谷川 コージさんのこの漫画(“G”「COMICばく」2号所収)面白いですね。いいテンポで世界がくるくるまわっていくようで。漫画はよく描かれるんですか?
スズキ ぼくはもう漫画家だもん。実言うと。
長谷川 ええっ?
スズキ 漫画家っていうか、もう小さい時からね、道路にどんどん落書きして、ドブの上にも描いちゃって、グルッと回って戻って、また描いてみたいなこと、しょっ中してたから。
ぼくんとこは静岡県の浜松の北、浜北市ってとこなんだけど、とにかく田舎だったから、外で泥まるけで遊んで帰る時は飯の時と寝る時だけ。
だから外が画用紙というかね、要するに原始人と同じで、地面をずうっと棒切れかなんかでたどっていって、とちゅうで、枯れ木を立てたりして、その広がる宇宙みたいな中で、一日じゅうゴロゴロ遊んでたわけよね。今だにそういうのは変わってないんじゃないかな。
学校行くようになったら、教科書の隅っこの白いところに絵を描いたりしてた。ちょっと汚い話だけど、鼻くそを、一年かかった机の下のところにびっしりつけていってね。それを、面白くない授業の時なんかに、ボアーッとして触っていると、こう、ひじょうに快感があった。
長谷川 うわあ、鼻くそ曼陀羅。でも、指で味わうところが、すごい。どんな絵でも、いい絵には絶対、触感があるような気がする。
スズキ 最近、栃木の山奥で、陶器で馬とか船作ってんですけど、ものすごく解放感あるね、あの鼻くそを触っていた時と通じるような。皿に絵なんかも描くでしょ?そうすると紙に描くのと全然違ってね、なんかやっぱりこう、小さい時に地面で遊んでた時のような気持ちになるのね、土に描いてるというようなね。
みんな面白かった
長谷川 コージさんの小さいころって、どんなだったのかしら。
スズキ ボーッとしててね、面白くもないのにニヤニヤしてちょっと気味悪いとかその程度だったんじゃないかね。まわりがほんとに今思うと面白い連中ばっかりでね、まぎれてたから。みんな特技があったのよね。特技っていってもね、鼻ほったりとか、逆立ちして屁するとか(笑)。それがまたすばらしいわけでね。こう、絵の材料になる際立ったものは、今考えると、みんなが持ってたような気がする。平均化されてないっていうか。
あのころの村には、気がふれたというか、極端に風変わりな大人がいたじゃない?それがひじょうに印象的で。穴掘りヤッサとか、気ちがいミノチャ、ケーコちゃんとか、いろんな……。
長谷川 一時代前の田舎って、そうでしたよね。私の町にも「ミノキタケンショ」ってみんなが呼んでた変わった人がいて、その人、降っても照っても簑を着て歩いてるの。黒いシルクハットみたいなのかぶって、すごい髭生やして、簑をゆさゆさゆすぶって、胸張って歩いてた。そう言えば、ああいう人たち、まさにコージさんの絵に登場してきそうな人物だなあ。子どもは面白がって、後についてぞろぞろ歩いてたけど、コージさんの『大千世界のなかまたち』の世界を実践してたみたい。
スズキ そう、実践して。それぞれ好きなふうにしてた。今は管理されちゃって……。
長谷川 田舎ではね、そういう人たちを生活の中に包みこんで暮らしていましたよね。役所に電話して、保護してくれなんて、絶対言わなかった。
スズキ うん、絶対しなかった。
森太郎じいさん
スズキ あと思い出すと言えば、老人。ぼくのじいさんが鈴木森太郎と言って、そのじいさんと高校時代から一緒の部屋で暮らして。四畳半をカーテンで仕切ってね。そのおじいさんっていうのは片方が義眼でね、時々取り出してまた入れたりしてた。それでものすごくタバコを吸うわけ。一日百本ぐらい。だから冬なんて窓閉めてると、もうロンドンの霧みたいにね、タバコの煙で一寸先が見えないのよね。だからぼくもね、うんざりしてきて押入れにこもるようになった。油絵の道具とか持ち込んで。
その森太郎じいさんがね、あのぐらい年いくと、やっぱりある意味でぼけてくるというか、とにかく風呂に水入れ忘れて、ドシッと座って、どんどん焚いて、パカーンと風呂割っちゃって、もうもうたる煙の中にじいさんが半身倒れてた事件があったり。夏に、じいさんがどぶの水を汲んで、撒いたりするじゃない? そこへ皮ジャンかなんか着た兄さんが、バイクでサーッと通りかかる。どぶの水をかけられた兄さんは、もうカンカンに青筋たてて怒ってる。ところがじいさんは、「ああ、かかったか」みたいな感じで、自分のタンスから股引きとか出してきて、「おまえ、これ着て帰れ」とか言っている。兄さんは、「この間抜け、ばかにしやがって」って、バリバリってバイク鳴らして一目散に帰ってったけど。ものすごくおかしいのね。
長谷川 すごくおかしい。その森太郎おじいさんが持っている世界を考えると、現実にぽっこり穴があいちゃう感じ。バイクの若者がそこに片足つっこんで、ジタバタするの、すごくおかしいわね。おじいさんはおじいさんで、ひたすらやさしいのに……。
スズキ あのおじいさんと一緒に暮らしたことが、ぼくにとってはね、すごく貴重な体験だったなあと思うのね。もし一緒に暮らさなかったらきっとね、絵も変わってただろうし……。まあ、うちの母親から見れば、ほら、邪魔者だったと思うんだけど。働いてなかったから。よく、絵本なんかでもあるじゃない?おじいさんが孫に捧げるようにしてできた絵本とか。それは、絵本っていう形とらなくてもね、ぼくにはね、どぶの水掛け事件だけでも、孫のぼくへのすごくいいプレゼントだったの。
長谷川 そういうふうに現実社会の歯車から外れた所で生きている人たちがいろんな贈りものをくれるんですよね。うちの祖父もね、八十過ぎて、すっかり隠居して、孫の私なんかに、昨晩見た夢の話なんかしてくれたの。すぐそばに愛宕山という丘みたいな山があって、そこから私の町がほとんどぜんぶ見渡せるのね。おじいさんが「おらゆうべ見たがな、愛宕山からの景色がみんな金だった」って。祖父がくれたその金色のイメージ、忘れられないの。
スズキ はあ、それはもうほとんどインディアンの表現ですね、絵描きの表現。
長谷川 コージさんの今の話の中に出てきた人たち、みんな『大千世界のなかまたち』の中に変身して出てきてるのかもしれない。あの本、子どもが夢中になっちゃうんですよね。小学校の先生をしている友だちから聞いた話ですけど、小学校三年生にあれを毎日一つか二つずつ読んでやるとね、ほとんど信じるんだそうですよ。毎月一人子どもが生まれるので、小学校などから毎月片方のクツを一個拝借してベッド代わりに使ってるという「マザーパチコの話」を読んだあとで、靴がなくなったら、クラス全員でね、「マザーパチコだあ」って叫んだんですって。
スズキ うれしいなあ。
2017.04.06