降矢ななさんインタビュー|絵本デビュー作から現在まで【全2回】
降矢ななさんインタビュー【後編】「まゆ」シリーズのこと、スロバキアのこと
1985年刊行の『めっきらもっきら どおんどん』(長谷川摂子 作)の絵で、絵本作家デビューした降矢ななさん。現在、スロバキアにお住まいですが、2022年、一時帰国されました。この機会に、デビュー作から現在のことまで、これまでのお仕事のことをたっぷりお聞きしました。全2回に分けて、お届けします。(インタビューまとめ=大和田佳世)
ブラチスラバ美術大学で学ぶ
――20代から順調に絵本や児童書の挿絵を手がけていた降矢さんが、30歳でスロバキアの美術大学へ留学したのはなぜですか。
20代前半からロシア・旧東欧圏の短編アニメに心惹かれるようになり、そんなときにチェコスロバキアの絵本を研究・翻訳している関沢明子さんの蔵書を見せてもらう機会があったのです。ドゥシャン・カーライ氏の画本『不思議の国のアリス』を手にしたとき、その迷路のような入り組んだ空間、色使いなど味わったことのない魅力に衝撃を受けました。彼がブラチスラバ美術大学で教鞭を取っていると聞いて「この人の元で学びたい」と思いました。
当時の日本はバブル期で広告関係のイラストレーターが斬新な仕事をしていました。そして彼らが絵本の世界にもやってきて面白い作品をたくさん生み出していくのです。その中で、私は自分の絵に物足りなさも感じて悩んでました。「今の自分を変えたい」「生活を変えたい」という強い思いと、カーライ氏への憧れが渾然一体となって「この道しかない」とスロバキア留学に飛び込んでしまったわけです。
1992年秋、外国人留学生として大学の寮に入り、カーライ先生のクラスでリトグラフを学び始めました。その頃は母の絵画教室を手伝い始めて10年くらい経っていましたから、私が急にいなくなるということは、母も大変だったと思います。最初は2年間の約束で行ったのですが大学生活がおもしろくて約束を破りました。1989年にベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わり、1992年の渡欧時点ではチェコスロバキア。数か月後の1993年1月1日にはチェコとスロバキアに分離独立という東欧激動の時期でもありました。それから日本でも震災があったり、コロナやロシアのウクライナ侵攻があったりする中、人生の半分をスロバキアで絵を描きながら過ごしてきました。いつの間にかスロバキアに渡ってもう30年になります。私の人生の半分はスロバキア暮らしなんですね。
――渡欧以降、他に谷川俊太郎さんとの『あいうえおうた』や安江リエさんと『ねえどっちがすき?』、ねじめ正一さんとの『ずんずんばたばたおるすばん』などいろいろな作家の絵を手がけていますね。
『あいうえおうた』は留学中、『ねえどっちがすき?』は一時帰国を経てスロバキアへ戻って描いています。『ずんずんばたばたおるすばん』は割と最近で、最初にねじめさんから原稿をいただいたときはワニが床下で腹筋しているとあり、それはいくら何でも無理と言ったら、ねじめさんがテキストを書きかえてくれました。私は他の人のテキストをいただいて絵を描くことが多いのですが、テキストの中に「この動物を描きたいな」とか「この場面はおもしろい絵になる」と確信できる部分を発見することができると絵を描くことが俄然楽しくなって、できあがった絵本もおもしろくなるんですよ。
「やまんばのむすめ まゆのおはなし」シリーズのこと
――児童文学『やまんば山のモッコたち』(富安陽子 作)では、山姥、河童、天狗や鬼といった人間でも動物でもない〈モッコ〉と、山の風景を細かいタッチのペンで描いています。
『やまんば山のモッコたち』はもともと大学生の富安さんが月刊誌「子どもの館」(福音館書店、現在は休刊)に連載していたお話をまとめたもので、雑誌では挿絵も富安さんが描かれていましたが、1986年の単行本化の際に絵を頼まれました。現在は書き下ろしの一話「山からの贈り物」を加えた新版が2000年に刊行されています。
背がすっと高くて鼻が高いやまんばかあさんを「子どもの館」で最初に見たとき、「やまんばかあさんって富安さんにそっくり」って思ったんです。でも小さく点で描かれた目が、富安さんご自身の大きくてキョロっとしたのと違っていて……。なので、私はやまんばかあさんの目は大きく描くことにしました。富安さんが描いた人物像のイメージを生かしつつ、私が富安さんの書かれたお話を読んで想い描いたやまんば山を絵にしていきました。そのとき参考にしたのが「ムーミンシリーズ」の挿絵です。やまんば山とムーミン谷に何か共通するものを感じたんだと思います。
――『やまんば山のモッコたち』から誕生した人気絵本シリーズ「やまんばのむすめ まゆのおはなし」は、1作目『まゆとおに』(こどものとも1999年4月号)に続き、『まゆとブカブカブー』『まゆとりゅう』『まゆとうりんこ』『まゆとおおきなケーキ』『まゆとかっぱ』『まゆとそらとぶくも』の計7作刊行。真っ赤な髪をなびかせ、野山を駆けめぐる〈まゆ〉が、読者に愛されています。
『まゆとおに』のラフ制作はちょうど留学を終え一時帰国中で、編集者の姪っ子さんが〈まゆ〉と同じくらいの年齢だったので、写真を撮ったりしながら1日遊んでもらったことがあります。スロバキアに戻って原画を描きました。
大学で出会った夫(画家・作家、ペテル・ウルフナール)と結婚して1999年に娘が生まれ、『まゆとブカブカブー』『まゆとりゅう』などはちょうど娘の成長時期にぴったりで、思うままに描けていたのですが、だんだん娘が大きくなるとつられて〈まゆ〉もちょっと影響を受けてしまうんですね。長く読者に愛されるシリーズは嬉しい反面、変わらない主人公を描き続ける苦労があります。『まゆとかっぱ』ではちょっとお姉さんの〈まゆ〉になってしまいました(笑)。
松岡享子「あなたにいいお仕事があるのよ」
――「あたまをつかった小さなおばあさん」のシリーズは、1970年刊行の1作目を山脇百合子さん、2・3作目『あたまをつかった小さなおばあさん がんばる』『あたまをつかった小さなおばあさん のんびりする』を降矢さんが描かれていますね。
ちょうど南青山のギャラリーで個展を開いていたときのことなんです。そこは地下の会場で、松岡享子さんが階段をトコトコと走り降りてきて入ってくるなり満面の笑顔で「ななさん、あなたにとってもいいお話があるのよ!」って。そのときは内容を教えてくださらなかったんですけど、後になって正式に編集者から挿絵の依頼をいただきました。
山脇さんの絵は誰にもまねできない確固たる世界があって、たくさんのファンがいらっしゃいます。その絵で1作目を楽しんだ人たちのイメージを壊したくなかったので、緩めのやわらかい線を意識してペンの太さを選んだり、山脇さんの描かれたおばあさんがどんな風に生活しているのかをよく観察して、エントツに結んである紐に洗濯物がかけてあるとか、おばあさんの持ち物とか、1作目に滲み出る味わいを引き継げるように意識して描いたつもりです。それでも山脇さんの絵をコピーしているわけじゃないですし、描いていると自分で満足するまで描き込んでしまったり。モミの木なんて、しっかり私の絵ですよね。
――86歳で亡くなられた松岡さんの最後の作品『えんどうまめばあさんとそらまめじいさんの いそがしい毎日』(松岡享子 原案・文/降矢なな 文・絵)で印象に残ったことはありますか。
当初の松岡さんの原案では一人暮らしのおばあさんが主人公だったんですよ。一日中まめまめしく働いているけれど、やりたいことが見つかるとすぐ始めないではいられない。何かやっている途中で別のことに気を取られて……というお話。それを読んだとき、夫のぺテルみたいだと思いました(笑)。夫は本当にそういう感じで、家の中や庭に途中でほったらかしになったものがあちこち散らかっているの。松岡さんに「夫に似ています」とメールしたら、おもしろがってくれていつの間にかお話の中におじいさんも出てきて夫婦のお話になったんです。長野のお家の松岡さんと東京の福音館の編集者さんとスロバキアの私が、ネットでつながり、やり取りしながら絵本作りを進めました。そのときに病床の松岡さんをサポートしてくれたのが娘の恵実さんです。私は絵ができあがるとそれをコピーしデータをメールで送ります。すぐに松岡さんからの反応が戻ってくる。新しいテクノロジーと私たちの連携がなかったら、この絵本は出来上がることは不可能だったと思います。
――見返しに「えんどうまめばあさんとそらまめじいさんの家と春の庭」が描かれていますね。
左ページの納屋やウサギ小屋、ニワトリ小屋、温室のあたりは、東スロバキアにある義父母の家をモデルに描いています。実際にウサギやニワトリを飼っているんですよ。納屋の横に溜め水の容器を置いて、菜園の水やりに使ったりするのも、そう。端っこのコンポストとリンゴの木や井戸のあたりはうちです。スロバキアの2つの庭を組み合わせて描いています。猫と犬は松岡さんの希望で登場させました。犬のモデルは我が家のハル。猫は松岡さんが三毛猫をとリクエストしてくれました。
スロバキアでの暮らし
――降矢さんもスロバキアで野菜作りをしているのですか。
私が住んでいるのはスロバキア首都近郊のペジノクというワイン造りで有名な町です。スロバキアの人たちは農家ではなくても、庭にくだものの木を植えたり野菜を育てることが当たり前。団地に住む人たちも町の郊外に家庭菜園を持っています。それでも最近は生活スタイルが変わってきて、若い人たちには菜園はあまり人気がないですね。我が家での野菜作りの中心は夫です。私はお手伝いくらいかな。春は葉物野菜。夏場はトマトやキュウリ、トウモロコシ。秋はカボチャ。くだものは桃や洋ナシ、プルーン、いちじく、リンゴ。畑で熟れたとれたてのものはすごく美味しいから店で買ったトマトやキュウリは食べられなくなります。そうすると自然に「生のトマトを食べられるのは夏だけね」と(笑)。その代わり、たくさん収穫するからトマトピューレやピクルス、ジャム、コンポートの瓶詰や、干しいちじくやプルーンという保存食を作って、オフシーズンにそれを食べます。日本でも昔はみんな毎年梅干しを作っていたようなことですよね。
――最後に、読者の方へのメッセージをお願いします。
私が絵本作りをはじめた頃、私は何となく10年先を想像し目標を立てて、そこに向かうには今何をしたらよいのだろう……と考えながら行動していたように思います。スロバキア留学も自分なりの目標を立てられたから決心できたと思うんです。望んだようにいかないことはたくさんありますよ。だけど時間をかけて今よりもっと良くなる自分を想像できた。ところが今は、あまりにも世の中の変化のスピードが速すぎて、10年どころか2年先の未来がどうなっているのかもわからない。これって私が年を取ったからかな。
こんな世の中で子どもとして生きるって大変なことだと思う。子どもが子ども時間を過ごせなくなっている気がします。だから今こそ、大人は子どものことを真剣に考えなきゃいけないんじゃないでしょうか。大人が、この瞬間の利益、もっともっと早くたくさん儲けたいって望むことから方向転換しないと、子どもたちが犠牲になります。
10年、20年……100年先の子どもたちの未来を守っていきたいなって思う。そのためにも私は子どもが子ども時間をたっぷり楽しめる絵本を作っていきたいなぁと思うのです。
◆展覧会のお知らせ◆
東京・表参道のギャラリー「ピンポイントギャラリー」で、降矢ななさんとペテル・ウフナールさんの展覧会が開催されます。
●展覧会名 降矢なな&ペテル・ウフナールCollaborarion展「きのう どこで 食べた?」
●日時 2022年11月28日(月) 〜 12月10日(土)
open hours: 12:00〜19:00 土曜日17:00まで 日曜休み
※初日11/28のみ14:00〜
作家在廊予定日:11月28、29、30日、12月10日
●HP https://pinpointgallery.com/
2022.11.21