「英語でたのしむ福音館の絵本」刊行記念|ロバート キャンベルさんインタビュー【全2回】
■前編■日本の言語文化を探究してきた 私が訳すことの意味
幼いころに親しんだ絵本で、楽しみながら英語の魅力にふれることのできる「英語でたのしむ 福音館の絵本」シリーズ。『おつきさまこんばんば』『きんぎょがにげた』『サンドイッチ サンドイッチ』『たまごのあかちゃん』『どうぶつのおかあさん』、日本語版でもおなじみの5作品の英語版は、刊行以来ご好評をいただいています。英訳を手がけた日本文学研究者、ロバート キャンベルさんへのインタビューをお届けします。前編では、絵本を英訳するにあたってキャンベルさんが大切にしたこと、そして『Good Evening Mr.Moon』(おつきさまこんばんは)翻訳の裏話をお届けします。
安心できるものであってほしいという思い
——日本語の絵本を英語に翻訳するのは初めてのご経験だったそうですが、今回の依頼を耳にされたとき、どのようにお感じになりましたか?
私には物事を反転させて考える癖があるので、「なぜ私に依頼がきたのかな?」と思ったんですね。何かを翻訳しようとする場合、翻訳家という専門の人がいますが、私は翻訳家ではありませんから。子どものための本は、大人向けの本以上に「正しい翻訳」であることが求められます。しかし、それだけなら翻訳家の方にお願いすればよいですよね。
いろいろ考えているうちに、もしかしたら、日本語の表現や文化を研究している私が日本語の絵本を英語にすることによって、絵本を手に取る方々に安心していただける部分があるのかもしれないと思い至りました。
特に今回の5冊は、長い間読まれ続けてきた絵本なので、読み手の大人も内容を知っていて、その世界観に浸った思い出をもっている可能性が少なくありません。そうすると英語が日本語の一語一語の意味に寄り添っているかという点だけでなく、絵本の世界全体に深く寄り添っているかという部分まで含めて、安心できるものであってほしいという思いが強くなります。その思いに応えることができたかわかりませんけれども、物語や文学作品を通して日本の言語文化を探究してきた私が訳すことの意味は、そういうところにあるのではないかと思ったのです。
私自身、絵本は好きで、書店に行くと絵本のコーナーによく足をとめます。子どもの頃は母方の祖父母によく絵本を読んでもらいました。私の母はシングルマザーで働きながら私を育ててくれたのですが、母が仕事の間、近所に住んでいた祖父母が面倒をみてくれたのです。記憶に残っている絵本としては『Curious George』(*『ひとまねこざる』として岩波書店より刊行)があります。こうした絵本への愛着もあり、絵本の英訳をやってみようと思いました。
絵と文章が密接に結びついた「絵本」
——実際に絵本を訳されてみて、いかがでしたか?
翻訳した絵本はいずれも文章量としては少なくて、1冊の文章をすべて書き出してもA4サイズ一枚に収まるぐらいです。それでも、難しい仕事になるだろうという予感がありました。
私は研究のために日本の江戸時代やそれ以前の文学を読むことが多いのですね。その多くは絵と文章が混然一体となっていて、わけて考えることができません。そういうものが文化的な背景にあって、漫画やアニメが日本から生み出されたという歴史的な部分もあります。
私の場合、普段からこうした絵入りの本を扱っているので、絵と文章が密接に結びついた「絵本」を翻訳する難しさを、ある程度はイメージすることができました。
実際のところ、日本語の絵本を英語にしていく過程はとても楽しいものでしたが、予想に違わず難しかった。私は締め切りの直前にエンジンがかかるタイプで、よく編集者を困らせるのですね。
でも今回は時間が必要になるだろうと思い、余裕をもって早めに取り組みました。絵本を何度も眺めて訳文を考え、それを寝かせたり、取り出したりしながら、検討を続けました。
作品ごとにトーンや世界観が違うので、文章を単純に英語にして運んでいけばよいというものではなく、スリルや安心感、わくわくする気持ち、不思議に思う気持ち……そうしたものまで読者がちゃんと感じとれるように訳す必要がありました。
それが翻訳をする際に英語の不自由なところなのです/『Good Evening Mr. Moon』
——英訳に際して悩まれたことや、工夫された点について、ひとつひとつの作品を例にお聞かせください。
例えば『おつきさまこんばんは』(『Good Evening Mr. Moon』)では、やわらかく語りかける日本語の文章の雰囲気を、英語の文章からも感じられるようにしたいと思いました。
おつきさまを雲が隠してしまう場面がありますが、その中に「くもさん どいて」という文章があります。「どいて」を訳す場合、「move aside」などが候補になるのですが、印象はちょっとかたくなります。
そこで今回の訳では「step aside」を選びました。実際の文章は「please」を加えて「Please step aside」とし、より丁寧な表現にしています。なぜそうしたかといいますと、次の場面で、雲が「ごめん ごめん ちょっと おつきさまと おはなし してたんだ」と言っているからなんですね。迷惑をかけてしまったけれど、迷惑をかけるつもりはなかったので、「ごめんね」と言っているんです。とてもいい話。自分の思うようにいかないときにどうやって相手に伝えるか、どのように対立を回避するかということが、ここには含まれているので、より丁寧に気持ちが伝わる言い方にしたいと考えました。
タイトルをご覧いただくとわかるように、「おつきさま」は「Mr. Moon」としています。ここも悩んだ部分です。絵をご覧いただくと、おつきさまに顔が描かれていて、表情があります。擬人化しているんですね。そういうものを、ただ「the moon」としてしまうと、「天体としての月」という部分が強調されて、すごくひんやりした感じ、無機質な感じになってしまうんです。そのため、英語にするにあたっては「Mr.」「Ms.」「Miss」「Mrs.」のいずれかをつけなくてはいけないと思いました。
日本語の場合、「おつきさん」「おつきさま」のように敬称をつけることで、性別は特定することなく擬人化できますが、英語の場合は、表現に際して性別や数を定めることが要求されます。それが翻訳をする際に英語の不自由なところなのです。
なるべく意味の幅を持たせるようにしていますけれども、男性なのか女性なのか、単数なのか複数なのか、はっきりさせないといけない場合が多い。そうした理由によるところなので、「moon」に男性性とか女性性を見ているわけではないのです。おつきさまに女性のイメージをもっていた方は違和感をもたれたかもしれませんが、これはもう「ごめんなさい!」としか言えません。裏表紙の「あかんべえ」をしているおつきさまの表情を見ても、女性、男性、どちらでもいいなと思います。
2021.01.18