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激動の半生を歩んだ画家が描く、みずみずしい絵本『あまがさ』

激動の半生を歩んだ画家が描く、みずみずしい絵本


『あまがさ』

ニューヨーク生まれのモモは、3歳の誕生日に二つの贈り物をもらいます。それは、赤い長靴と雨傘でした。モモは雨の降る日が待ち遠しくて仕方がないのに、そんな時に限ってちっとも雨が降りません。とうとう我慢ができなくなって、かんかん照りの日や大風の日に、太陽や風をさえぎるために傘を使いたいと言いますが、お母さんから、傘は雨の日までとっておきましょうと言われます。
そしてまた幾日もたったころ、ようやく待ち望んだ雨が降ります。モモは喜び勇んで長靴を履き、雨傘を手に外へ。コンクリートの道では、雨のしずくがダンスをしている小人のように跳ね回っています。雨傘の上では、雨が聴いたことのない音楽を奏でます……。
 初めて雨傘を持って外に出る女の子の、喜びと自立心の芽生えを、みずみずしい感性で描いた絵本です。


 作者の八島太郎さんは、1908年鹿児島生まれ。東京美術学校(現在の東京芸大)に進みますが、時は日本が軍国主義をひた走っている時代。八島さんは、プロレタリア美術運動に参加して幾度となく検挙され、軍事教練を拒んだことなどから学校も追われます。そして日中戦争さなかの1939年に、同じ志の妻とともにアメリカへ旅立ちます。二人はニューヨークで貧しさと戦いながら絵の修行を重ねますが、やがて日米開戦。八島さんは、ステレオタイプの日本批判が蔓延する中で、日本には戦争に抵抗する人々もいるのだということを訴えるため、自らの体験をまとめた『The New Sun』(あたらしい太陽)を製作し、1943年に出版します。さらに、アメリカの情報機関に属して、一人でも多くの日本人を救うため、日本兵に命の大切さを訴えるビラを作成するなどの活動もしたそうです。

戦後は、アメリカで生まれた娘に故郷の思い出を語っているうち、それを絵本にしようと思い立ちます。そして、1955年刊行の絵本『CROW BOY』(『からすたろう』として偕成社より刊行)がコルデコット賞(アメリカの年間最高絵本を選ぶ賞)にノミネートされ、絵本作家としての地位を確立します。
『あまがさ』は、その3年後の1958年に『Umbrella』というタイトルで刊行され、娘の成長をあたたかく見守る親の愛情に包まれたこの作品は、再びコルデコット賞にノミネートされました。

 軍国主義の時代に平和を求めたがために、祖国を捨てざるを得なかった八島さん。ですがアメリカで発表した絵本には、故郷鹿児島での生活や思い出をべースにしたものがたくさんあります。1994年に他界するまで半世紀以上をアメリカで過ごしながら抱き続けた、八島さんの望郷の思いはいかばかりだったでしょう。

 もし八島さんがそのまま日本に留まっていたなら、生み出されることはなかったかもしれない『あまがさ』のみずみずしさに触れるとき、自由な表現が侵されることのない世の中を守る大切さを、あらためて痛感せずにはいられません。

参考:『さよなら日本  − 絵本作家・八島太郎と光子の亡命』宇佐美 承・著(晶文社刊) 



「日々の絵本」水曜担当・Y
チームふくふく本棚の長老。趣味は、お酒と野球とトロンボーン。

2018.06.27

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