【第4回】林明子さん|(3)子どもの「しぐさ」に魅せられて
少女漫画のまねから
長谷川 林さんはどんな絵が好きでしたか?
林 小学校の時に『愛の妖精』(ジョルジュ・サンド作)を読んで、ファデットという女の子がすごく気に入っちゃって。ファデットが塀の上からランドリーにわざといやなことを言って気を引くところがあるんだけど、ファデットの風にたなびいているスカートや足の細さとか、まずそういうのに感動したのね。
その後は、両親が見に行った上村松園の絵のパンフレットを、もうしつこくしつこく見てました。髪の毛がすごくきれいで、唇とか、すだれとか、着物の柄とかも……。まねしてかいたりして。あとは、やはり父が行ったボルゲーゼ美術館というところのパンフレットで、これも私が気に入って、ずっと見てました。
長谷川 なるほど、日本画の線の美しさというか涼しさというか、そういうところ、林さんの今の絵にはるかにつながっているような気がしますね。子どもの本では?
林 とくにだれと言うんじゃなくて、外国のさし絵などを見ると、いつでもしぐさというのが目にとまって。バランスとか構図はあまり気にならなくて、しぐさのことがすごく気になる。
長谷川 そこだけ目に焼きつくのね。
林 そうなの。どうしてこういうしぐさがかけるのかなと思って自分でかいてみると少女漫画になる。
私、小さいころ、白いところがあればこっそり、少女漫画のお姫さまをかいてたのね。指とか、足とか。学校で習うのが絵で、こういうのはダメと思ってたからかいたらすぐ消してたの。
大学に入ってからデザインの授業やクラブで、イラストという分野があるのを知ったのね。それは美術館にある絵とくらべても、お父さんやお母さんに見せても、恥すべきものじゃない、とわかって……けっこうほめられたいタチなんですよね。(笑)自意識過剰だからね。
現実の子どもの方がすてき
林 はじめのころは、子どもの時の憧れが尾を引いてかいてるという感じで、ただ自分の満足を得るためだけだったんですよね。
長谷川 二十歳前後の頃って、自分のことふりかえってみてもすごく自己中心的で……。
林 自分だけね。
長谷川 子どもなんかゴミみたいに思っててね。そこを抜け出して、子どもや自然に目がいくのには、わたしなんかずいぶん時間がかかったんだけど、林さんはいつごろから現実の子どもに目を向けるようになったの?
林 自分で子どものしぐさをかいても、いつも本当じゃないのね。少女漫画とかアニメーションのしぐさと、本当のしぐさの違いは歴然とあるんだけど、本当じゃないほうになっちゃうの。それでちゃんと現実の子どもを見るようになったら、頭で想像するよりも現実の方が全然すてきなの! 天才だと内なる美の叫びを画面にあらわすでしょう? 私は外なる美を追い求めているという感じなの。凡人。
長谷川 でも少女漫画やアニメのパターンを現実の子を見つめることから抜け出すという林さんの方向って、とても大切なことをおっしゃってる気がする。しかも嘘かほんとうかということではなくて、現実の方がすてきという美意識に導かれてるってことが……。
林さんは詩の言葉を選ぶように子どものしぐさを選ばれるっていうことですが。
林 それも結局は自分が創り出すというんじゃなくて、モデルをしてくれた子どものしぐさの中から選んでるんですよね。かけなくて、追い詰められて、そして最後に子どものしぐさが決まって、かいた時に、ああ、運がよかったと思うのね。締め切りがもっと過ぎてもまだできなかったはずなのに、まあここんとこでできたからって。
長谷川 言葉を探す時も同じよね。どうしても決まんないと思ってずっと探してて、台所でキュウリ切りながらパッとひらめいたりしてね。でもそれには、醸成の時間というのが絶対必要。
林 その運のよさが最初から来ることはあり得ないの。いつも永久に仕上がらないという感じなんで、脂汗流しながら、「神さま助けて」「いいかげん許して」と思いながらかいてる。
長谷川 林さんの絵は、いつもたえず吸収しているというか、一作一作がドキドキしちゃうの。固定してなくて、前進前進という感じですごい努力が感じられて、私なんか尊敬しちゃう。
林 大変なんだけど、今、なんてうれしいんだろうって、毎日思っちゃうの。二十代には想像してなかった仕事を今してるんだけれど、まだ何だか夢のよう。だから、さぼりたいって思うたびに、ありがたいというのを思い出すの。
自分自身に出会う時
林 絵本かいてるうちにね、だんだん自分の個性はいらない気がしてきちゃって。個性なんて一人分でしょ? 普遍性の方がずっとすばらしいと思っちゃうの。
長谷川 子どもの時に読んだ本って、作者の名前なんて無意味だものね。
林 だから作者が消えないと。「私は林明子さんのファンです」と言われるよりも「あさえちゃんが好きです」って言われたほうがずっとうれしい。
長谷川 でもほんとの個性って、人とは違った自分を出そう出そうと意識して頑張ったりすることじゃないと思うのね。個性って、作る側が言う言葉じゃなくて受け手の感性が言う言葉。林さんが現実の子どものすてきさに巡り合うっていうこと、それはやっぱり少女漫画ファンの少女の辿る道としては稀有なことだと思うし、そこで林さんは自分自身に出会っているというふうに、私なんか思うの。作り手が普遍性の方がすばらしいと思った瞬間に、ほんとの自分自身に出会ってる……。
林 ある人に「子どもの本をかいていて、自分の表現したいことが制限されることはありませんか」って言われたのね。全然、そんなことはない。
長谷川 逆にもし自分の創作なんかを大人の本というふうに限定して考えたら、とても不自由な気がするの。私、子どもの心情の豊かさに、まだまだ憧れていて、子どもの方が自分よりもっともっと……というふうに思っちゃうから。
林 豊かだもの。喜びも悲しみもぜんぶ大きくて。
長谷川 ほんとに、赤ちゃんの笑顔ひとつでも底知れない魅力。絵本読んでやってて、赤ちゃんがニターッと笑ったりしたら天国に昇りそう。読んでやっただけでもそうなのに、その絵本をかいた林さんは……。
林 神さまにほめられたみたいな気がするの。
※()がない作品はすべて福音館書店より刊行。
※対談の記録は、掲載当時のものをそのまま再録しています。
林明子(はやしあきこ)1945年〜
1945年、東京生まれ。横浜国立大学教育学部美術科卒業。月刊絵本「こどものとも」では、『はじめてのおつかい』『あさえとちいさいいもうと』『いもうとのにゅういん』などがあり、他にも『くつくつあるけのほん(全4冊)』や『こんとあき』、『はじめてのキャンプ』など多くの作品を手がけている。
インタビューを終えて-長谷川摂子
筒井頼子さんの時もそうでしたが、林さんとお互い同世代だとわかったとたん、説明不可能な親近感が押しよせてきました。林さんとドストエフスキーの話などしていると、遠い学生時代、新しい友だちと意気投合した時の、あの高揚した若やいだ気持ちが湧きあがってきて、自分でめまいがしそうでした。
一枚の絵を求めあぐねて苦しみ、「神さま助けて」と思わず言ってしまうという話、大きな目をくりくりさせ、「私、天才じゃないから」と笑いながら語る林さんですが、創造的な仕事がいかに凄まじい努力に支えられているか、ありありと見えるようで、私には感動的でした。帰ってからもう一度林さんの絵本を手にとってじっと見つめてみました。震える魂を宿して生きている子どもたち……林さん。あの子たちは、本当に神さまの落とし子なのかもしれませんね。
◯長谷川摂子さんが対談した絵本作家たち
【第1回】筒井頼子さん
【第2回】堀内誠一さん
【第3回】片山 健さん
【第4回】林 明子さん
【第5回】中川李枝子さん・山脇百合子さん
【第6回】スズキコージさん
【第7回】岸田衿子さん
【第8回】いまきみちさん・西村繁男さん
【第9回】長 新太さん
【第10回】松岡享子さん
【第11回】佐々木マキさん
【第12回】瀬川康男さん
2017.04.04