長谷川摂子と絵本作家

【第3回】片山健さん|(2)子どものウンコには感動しました!

少年期

長谷川 よく、子どもはどんなに大きくなっても抱きしめてほしいと思っているとか言うけど、あれ、うそだと思うんですよね。小学校四年生ぐらいを境にして。
片山 四年生の中藏と手をつないだりするの、絶対できないですね。何かの拍子に夜道でパッと手をつながれることあるけどね。あれはもう困っちゃう。このへんがむずむずして。(笑)
 下の子だとだっことかしてもなんともないのね。まだ小さいから膝の上にぴたっとおさまるんだけど。上の子と相撲をとってるとかいうんだと別だけど、何かの拍子に足が触れると離すしね。
 自分のこと思い出すと、手つながれた強烈な思い出があるんですよね。中学校の一、二年のころ、夜母親と阪妻の映画を見に行ったんですね。大通りを渡る時、急に母親がしっかりぼくの手をとったんでびっくりしちゃってね。びっくりしたけど母親の気持はありがたいものとして受けとめたですね。ただ自分はもう人知れず大人のいろんなものに目覚めちゃっていて、悲しいいっときだったんです。
 だから上の子が、これから少年期に入ると思うと、切ないような気持になるんですね。“少年”っていうとふつういいイメージでしょ。でも少年の心の中はそんなに美しくないですよね。
長谷川 今、息子は中学なんですが、何かにつけて親は切ない気がして……。かといって手出しはできないし。高校になるとだいぶ楽になるだろうと思うんですけど。
片山 いや、高校なんてぜんぜん楽じゃなかった。(笑) ぼくは登校拒否になっちゃったんですね。たまたま絵が好きだったので、学校さぼらせてもらって絵ばかり描いてた。そのころゴッホ展があって、その絵を見て胸ドキドキして「絵描きになりたいな」と思ったんです。……高校を出てからは楽になりましたけど。

ウンコの話

長谷川 絵本を描かれる前は、片山さんは少年の絵をずっと描かれていたようですが、そのころも、自分の中の子どもに回帰するということはあったんですか?
片山 多分に逃避的に回帰しておりました。でも自分の子どもができてからは回帰というより再生というか、自分も、新しく生まれさせてもらうというか……。
 子どもがウンチ!と言って即出すウンコを見たときは、感動しましたね。サッとこう、じつにいい形のが出る。あれが天地創造に見えたんですよね。子どもの中に何か、例えばバラ色の腸とかがあるように思えた。子どもができる前に少年の絵ばかり描いてたのが描けなくなっちゃって、なんかこう蘇らなければと思って、できもしないんだけど、天地創造図みたいのね、頭ん中で考えて描いてたんですけど、ぜんぜんできなくて……。ところが子どものウンコを見た時、パッとね、例えばウンコを生んだ子どもを描けばいいんだというような気がした。だから子どものウンコは描きたくてね、油絵で何回も挑戦したんだけど、絵に描くとじつにくだらなくなっちゃって。(笑)
長谷川 うちの子が小さい時、オマルでしたウンチをじっと眺めるんです。それから、やおら、そのウンチに名前をつける。終わるとかならず、「おかあさん、来て」って言って、「きょうはヘビウンチ」とか「おだんごウンチ」とか言ってウンチを紹介するの。
片山 今でも下の子なんか、自分でもかっこいいウンチが出たとき、知らせますけど。(笑)
長谷川 子ども自身が感動するのね。
片山 父親も、子どものウンコぐらい取りかえた方がいいですね。
長谷川 やった方がいいと思う! 保母してたとき、オムツをとれるようにするの大好きだった。あれほど希望に満ちた仕事はないと思うのね。挫折することはないし、途中にドラマがあって。オマルに座ると緊張してオシッコが出なくなっちゃう。そういう時はオマルにのってるのをふっと忘れさせると出たりするのね。
片山 大人の便秘と同じですね。(笑)
長谷川 出るでしょ、そうすると出たーって感じでみんなで寄って「なんとかちゃん、オシッコ出たよ!」って手たたいてね。その時の感激!
片山 保育園って、そういうのやるみたいですね。(笑)

ゴッホのこと

長谷川 片山さんは、水彩と油絵と描き分けていらっしゃるようですが、油絵はいつごろから?
片山 じつは、油絵を本気で描きはじめたのは子どもができてからなんです。ずっと絵描いてきたくせに、これから絵描くのかと思うと気が重くて、どっか行きたくなったりとかしてたんですが、このごろになってやっと絵描くのが楽しくなってね。朝起きてすぐ絵描きはじめて、寝るまで描いてて、ずいぶん楽しくなってきましたね。また絵描きになりたいな!っていう気持です。高等学校の時ほどではないかもしれないけど。
 去年ゴッホ展見に行ってね、三、四回行ったんですけど、ゴッホの絵見ると、元気が出るんですよね。いわゆるいい絵で、元気が出ない絵もあるんですけど。ゴッホの絵は、死ぬ前の深刻な絵でも暗い絵でも、作品自体はみんな昇華されてるから、元気出るんです。
長谷川 私は今度のゴッホ展見て、絵ってものはもっと幸せでなくちゃいけないと思って……ついていけなかった。
 梨の花の絵ありますね。花はすごくきれいなんだけど、地面が渦巻いていて、私はそれを見た時、脳みそがダーッて流れ出てるような気がしたのね。ゴッホの苦しさが押し寄せてくるようでつらくて見ていられなかった。そんなふうに感じるのは自分が年とったせいかな、と思ったりしていたんですけど。
片山 ぼくは反対に花よりもあの地面の色が好きですね、きれいで。ゴッホには、見る人をいろんな思いに誘う不思議さがあるみたいですね。
 ゴッホの絵見てると、どんな暗い絵でもそれを描いてるゴッホは乙女の心のような気がしてね。ほんと好きです。胸が一杯になっちゃって。胸が一杯になるっていうのには、高等学校の時の思い出が甦るというセンチメンタルなこともあるんですけども、絵見て胸が一杯になるというのはめったになくて、絵でも、きっと詩でも、要するに胸が一杯にならなければありがたくないんですよね。ゴッホはほんとに胸が一杯になる。
 日本でゴッホ、人気ありますね。それを文学的に見てるとか悲劇好みとか批判する向きがあるけど、ぼくなんか絵自体見て、じつにいいなあ、と思うんですね。そうとう暗いもの描いてても、作品になりきってるから、こっちが暗くなったりつらくなったりはしないんです。あれだけ苦しんだ人が、こんなに人に至福を感じさせる絵を描くなんて、ほんとにすごいと思う。ほかの絵描きにこんなこと言うと、にやにやされて、「いやあ、私も若かったころは」とか言われちゃいますけどね。(笑)

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2017.04.03

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